今日の栄一
是日栄一、当伝記の発行者を竜門社として、富山房[冨山房]より発売せしむ。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 6章 学術及ビ其他ノ文化事業 / 4節 編纂事業 / 1款 徳川慶喜公…
是より先、明治三十七年七月二十四日陸軍大尉横山富三郎清国大石橋付近に於て戦死す。是日栄一、同人のため墓誌の揮毫をなす。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 2部 社会公共事業 / 8章 其他ノ公共…
是日栄一、来訪せる当団神戸支部員に揮毫の小箋を分与し、訓話をなす。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 4章 道徳・宗教 / 5節 修養団体 / 4款 財団法人修養団 【第43巻 p.5…
栄一、大患後事務減省のため、是日当会社取締役を辞す。当会社より其創業以来の功労を謝して記念金品を贈らる。翌年一月二十四日当会社株主総会にて、栄一の相談役として会社に関係されんことを懇請する旨決議し、栄一その請を容れて相談役と為り、明治四十…
是より先、栄一、当協会より米寿祝品を贈らる。是日栄一、当協会評議員の重任を承諾し、在任歿年に及ぶ。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 2部 実業・経済 / 2章 交通・通信 / 3節 航空 / 1款 …
是日、当委員会、東京銀行倶楽部に開かれ、栄一出席し、外務当局者を招待してアメリカ合衆国議会上院に提出せられたる、合衆国出生外国人児童の帰化権制限に関する憲法改正共同決議案に対する善後策に就いて協議す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公…
是より先内務卿伊藤博文・大蔵卿大隈重信東京府下に商工業者団体の無きを憂ひ栄一等に商法会議所の設立を勧誘す。是に於て栄一、益田孝・福地源一郎・大倉喜八郎等と共に東京商法会議所を設立せんとし、是日其旨を東京府知事楠本正隆に請願す。十一年三月十…
是日、当会議所に於て、新東京市長後藤新平歓迎午餐会開かる。栄一、陪賓として出席し、祝辞を述ぶ。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 2部 実業・経済 / 7章 経済団体及ビ民間諸会 / 1節 商業会…
是より先、大正三年十一月、粕谷義三郎、東京市外代々木に東京育英実務学校を創設す。大正七年三月、中島力造・本多静六等を介し栄一に助力を乞ふ。栄一当校設立の趣旨に賛し、維持費として金千円を寄付す。更に是日栄一、当校のため資金勧募の計を立て、金…
是日栄一、日本弘道会八王子支会の秋季大会に臨席演説す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 2部 社会公共事業 / 3章 道徳・宗教 / 5節 修養団体 / 3款 日本弘道会 【第26巻 p.487-493】 『渋沢栄一…
是より先明治十九年十二月起工せる兜町の新邸落成し、是日栄一当邸に移る。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 3部 身辺 / 8章 住宅 【第29巻 p.616-618】 『渋沢栄一伝記資料』第29巻目次詳細http://…
是より先、将軍徳川慶喜弟徳川昭武を明年仏国巴里に開かるべき万国博覧会に派遣し事畢るの後昭武を同国に留学せしめんとす。是日栄一特に内命を承けて之に随行するに決す。尋で十二月七日俗事を取扱ふ可しとの命を受け、同月二十一日班を勘定格に進めらる。…
是日孫文、上海より海路北京に赴く途次、神戸に寄港して栄一等と会見を希望す。栄一病気のため応ずることを得ず。第一銀行神戸支店長大沢佳郎に託して伝言を通じ、更に日華実業協会専務理事角田隆郎に託して意を通ず。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会…
是日栄一、和田豊治にその手写したる孝経を贈る。和田豊治は是を影印して知人に頒たんとして果さず、十三年三月四日歿す。仍つて家人は其の遺志を継承して、玻璃版に複製し同年八月知人に頒つ。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界…
当伝記の編纂完了し、付録及び索引共全八冊の印刷成る。是日、徳川慶喜の嗣子徳川慶久、谷中墓地内の徳川慶喜墓前に於て、当伝記献呈奉告式を執行す。栄一参列、当伝記を墓前に進献し、且つ献本の次第を述ぶ。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業…
是日、青山斎場に、栄一の葬儀執行せらる。勅使として侍従本多猶一郎、皇后宮御使として同宮事務官野口明、皇太后宮御使として同宮事務官西邑清を差遣せられ、焼香せしめらる。葬儀及び告別式終りて、谷中の渋沢家墓地に埋葬す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』…
是日栄一、長男篤二を通じて、病気見舞のために来訪の郷誠之助・佐々木勇之助・石井健吾其他の財界有力者に告別の辞を伝ふ。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 3部 身辺 / 9章 終焉 【第57巻 p.7…
是日栄一、当団に書翰を送りて、青年の智育偏重を戒む。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 4章 道徳・宗教 / 5節 修養団体 / 4款 財団法人修養団 【第43巻 p.425-427】 『渋…
是日栄一、当校に於て催されたる一橋会第二回大会に出席し、一場の演説をなす。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 2部 社会公共事業 / 4章 教育 / 1節 実業教育 / 4款 東京高等商業学校 【第26巻 p.6…
当社主唱による青淵先生八十寿並陞爵祝賀会より、栄一に贈るべき飛鳥山邸内の青淵文庫竣工し、是日、その贈呈式挙行せらる。栄一、出席して挨拶を述ぶ。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社…
明治三十八年末頃より、伊藤博文・西園寺公望・福沢捨次郎及び栄一外数名、相謀りて欧米風劇場新設の件に関し屡々協議す。その後機運熟し栄一・大倉喜八郎・浅野総一郎・早川千吉郎・壮田平五郎・福沢捨次郎・園田孝吉外数十名発起人となり、資本金百二十万…
是より先、栄一海上保険会社役員益田克徳を衆に紹介し、同氏をして同社創立の主旨を陳述せしむ。是日栄一海上保険を拡充し自他の営業を安全ならしむることの緊要なるを述べ、衆亦之に賛同す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽…
是日、当団本部に於て、当団主催顧問森村市左衛門追悼会開かる。栄一出席して追悼の辞を述ぶ。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 4章 道徳・宗教 / 5節 修養団体 / 4款 財団…
栄一、是日開かれたる当会の茶話会及び十一月二日の創立記念茶話会に出席し、訓話をなす。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 5章 教育 / 3節 其他ノ教育関係 / 2款 財団法人…
当神社拝殿落成し、是日祭典当日を卜し、献納の奉告祭行はる。栄一参列して演説をなす。又同拝殿内に掲ぐる扁額を献納し、記念樹を境内に手植す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共…
是日及び十月二十六日、栄一、日本倶楽部に於ける当協会例会に出席す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 6章 学術及ビ其他ノ文化事業 / 1節 学術 / 7款 帰一協会 【第46巻 p…
是より先九月一日関東大震災あり、仍て是日、震災善後策協議の為め当協会緊急理事会を内務省社会局に於て開催す。栄一当協会会長として之に出席す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公…
是日栄一、山崎ホノルル駐在総領事及び大山サン・フランシスコ駐在総領事宛に、関東大震火災に対する、アメリカ合衆国側の援助方に就き依頼状を発す。次いで、サン・フランシスコ、シアトル、ロス・アンジェルス、ホノルル等の日本人会長・書記長、日本人商…
栄一既に身を以て国に殉ぜんと決意せしを以て是夜父に請ひて家督を辞せんとし、懇談夜を徹す。暁に至りて父遂に之を允す。尋いで翌十四日挙兵準備の為め江戸に出で月余にして帰る。是日急使を京都に遣して尾高長七郎の帰京を促す。栄一江戸滞在中偶々一橋家…
是日、栄一の従兄渋沢喜作逝く。九月四日栄一、芝増上寺に於ける葬儀に列して、追悼の辞を述ぶ。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 3部 身辺 / 1章 家庭生活 / 1節 同族・親族 / 2款 親族 【第57…