今日の栄一
是日、東京府民は上野公園に明治天皇の臨幸を仰ぎ、又グラント将軍夫妻を招請す。栄一御臨幸委員総代として斡旋す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 2部 社会公共事業 / 2章 国際親善 / 3節 外賓接…
是日栄一、栃木県塩原温泉に滞在中、当表徳会よりの懇請により、福島県白河町を訪れ、南湖神社建設地を視察し、同町第三小学校に於て講演をなす。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共…
是より先、当舎は、当所の目的たりし牧畜業及び之に附随の牛乳販売等の事業を廃し、僅かに植林及び玉蜀黍等の耕作により、其土地を維持す。是日栄一、益田孝と共に、実地検分をなす。昭和三年七月、其土地を以て仙石原地所株式会社設立せらる。 出典:『渋沢…
是日栄一、当会顧問に嘱託せられ、翌二十二日同じく評議員となり、爾後屡々評議員会に出席す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 1章 社会事業 / 4節 保健団体及ビ医療施設 /…
東京府下に於ける水災後の一般衛生施設並に疾病者施療等を目的とし是日当会組織せられ、栄一之が常務委員長となり、種々尽力す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 1章 社会…
是日栄一、インド詩人ラビンドラナート・タゴールを、飛鳥山邸に招きて午餐会を催す。是より先七月二日、栄一、日本女子大学校主催タゴール歓迎茶話会に臨み、更に同十三日、帰一協会幹事として横浜原富太郎邸にタゴールを訪問す。 出典:『渋沢栄一伝記資料…
築地精養軒に於て択善会第十四回の会同開かる。栄一出席し、訳述せしめたる、ダンニング・マクレオド氏憑信説の大旨及び銀行営業上の問答の詳細を演説す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 1部 実業…
栄一、侯爵徳川義礼外十一名と共に発起人と為り、北海道室蘭・空知太間及同線路より分岐して夕張・空知両炭山に至る間鉄道を敷設し、並に手宮・幌内太・幾春別間官有鉄道を払下げ、以て運輸の業を営み併て幾春別・空知・夕張・美唄等の諸炭山を採掘せんとす…
是日栄一、当所評議員会長を辞す。翌六年六月、相談役就任を懇請されしも辞して受けず。同年九月当所より記念品を贈らる。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 2部 実業・経済 / 1章 金融 / 3節 興…
是日東京府会、当講習所経費の支出を拒み、その廃止を議決す。栄一、府知事松田道之及び農商務卿河野敏鎌に謀り、農商務省の補助を得て之を存続せしむ。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 2部 社会公…
是より先、富士瓦斯紡績株式会社押上工場対友愛会紡織労働組合押上支部の争議勃発す。同社長和田豊治当会理事たるを以て、友愛会本部は当会に対し公開状を発す。是日当会、理事会を開き、友愛会の公開状に対しては答弁の必要なく、争議に関しても当会の干与…
是年六月二十九日、当校校長手島精一が多年工業教育に尽瘁せる功労により、特に御沙汰書を以て銀盃一組を下賜せられたるを慶祝し、是日当校に手島校長款待会開催せらる。栄一発起者の一人として其式に臨み、頌辞を朗読す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 …
是より先四月二十二日、栄一、同志社大学設立につき井上馨邸に催されたる新島襄後援の為めの会合に出席し、是日重ねて同主意のもとに開かれたる大隈外務大臣官邸の集会に岩崎弥之助等と共に出席、之を賛助して金六千円寄附を決す。爾後栄一、右基金の募集及…
是日栄一、克己学寮の監督者・温習教師・寮生及び親戚其他を招き、立川に至り、多摩川に於て鮎漁を催し、終つてその夜帝国ホテルに於て晩餐会を開く。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 3部 身辺 / 1…
是より先、大蔵大臣曽禰荒助栄一等銀行業者を招きて新任の挨拶を為す。是日栄一等曽禰及び大蔵省総務長官阪谷芳郎等を銀行倶楽部に招待して答礼す。栄一演説して政治を主とし実業を従とせる旧習を更革せんことを希望す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実…
是より先栄一、稲垣乙丙の主唱せる糧食問題研究に賛成し、竜門社総会に招き、或は東京銀行倶楽部に講演会に開きて、当会の設立を援助す。是日糧食研究会創立せられ、栄一その名誉会員に推さる。後金千円を寄付す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共…
是より先、明治二十年四月、栃木県民有志者日光宇都宮間に鉄道を敷設せんとす。栄一発起者の依頼により諸事相談に与り、後創立委員長に推さる。然るに同会社其建設の困難に逢ひ荏苒時を経て終に成立の目途を失ふに至る。是日鉄道局長官井上勝、日本鉄道会社…
是日栄一、深川区霊巌寺に於ける当会主催楽翁公百年忌墓前祭に臨みて、挨拶をなし、更に丸の内東京商工奨励館に於ける神式祭典に出席、式後、記念講演会に於て演説す。尚、同時に開かれたる展覧会に出品す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽…
是日、当会第二回総会開催せられ、栄一副会長として之に出席し会計報告をなす。爾後昭和五年に至る間、大正九年・同十四年・昭和三年を除く外毎回出席す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 …
是より先四月二十八日勅令第百五十二号を以て農商工高等会議規則公布され、是日栄一、議員を仰付らる。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 1部 社会公共事業 [実業・経済] / 8章 政府諸会 / 1節 諮問…
是年三月三十一日、元東京高等工業学校付属工業補習学校を協調会に移管し、校名を蔵前工業専修学校と改称す。栄一、協調会副会長として之に参与す。是日、蔵前東京高等工業学校に於て開校式挙行せらる。栄一之に臨み、演説をなす。 出典:『渋沢栄一伝記資料…
是日当会社臨時株主総会を開き、日清汽船株式会社へ合併のため解散を決議す。栄一清算人に選任せらる。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 1部 実業・経済 / 6章 対外事業 / 2節 支那・満州 / 5款 湖…
是日陽明学の大家東沢潟の息敬治等、王陽明学会拡張の為め、本郷湯島麟祥院に有力者招待会を行ふ。栄一出席し演説す。同日推されて評議員と為り、又当会の指導経営を委任されて尽力す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 …
是より先明治十一年、栄一飛鳥山に土地を購ひ、別荘を設け、専ら招宴・接客に充て来りしが、三十一年五月に至り家屋改築に着手、三十三年十二月落成、是日を以て兜町より移転す。以後栄一専ら当邸に起居し、兜町邸は渋沢事務所専用となす。 出典:『渋沢栄一…
是日、竜門社は栄一の米寿祝賀記念として斯文会編訳の「国訳論語」を発行す。二種ありて、袖珍本は竜門社会員、斯文会会員及び関係各方面に、大型本は全国小学校に寄贈す。更に同じく斯文会編集「訓点論語」を発行、同じ目的を以て師範学校・中学校に寄贈す…
是より先、二月二十七日附を以て京都織物会社創立願書提出中のところ、是日創立許可せられ、六月二十二日京都商工会議所に於て創立認許後第一回株主総会を開く。栄一、大倉喜八郎・益田孝と共に相談役に選挙せらる。尋いで七月一日府立織殿払下許可せられ、…
是日栄一、大隈信常邸に開かれたる当協会評議員会に出席し、日米問題に関する談話をなす。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 6章 学術及ビ其他ノ文化事業 / 1節 学術 / 10款 …
是日、当協会副会長阪谷芳郎、同理事ギルバート・ボールズ、添田寿一、宮岡恒次郎兜町邸に栄一を訪ひ、日支問題に関して論議す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際…
是日、当協会第一回理事会、築地精養軒に開かれ、栄一出席す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 3節 国際団体及ビ親善事業 / 13款 社団法人国際聯盟協会 【…
是日より丸の内東京銀行倶楽部に於てアメリカ合衆国人フランク・エー・ヴァンダーリップ外十二名及び日本側協議委員による日米有志協議会開かる。栄一出席し、座長として当会議開催の由来を述べ、引続き毎回出席、カリフォルニア州日本移民問題其他に就き意…