情報資源センター・ブログ

情報の扉の、そのまた向こう

公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

栄一ゆかりの地

 【和歌山県】 日出紡織 - 事業拡張を考慮して命名 【『渋沢栄一伝記資料』第52巻掲載】

1912(明治45)年6月15日(72歳)是日、大川英太郎及び和歌山県日高郡の有志、栄一等の賛助を得て、当会社を創立す。栄一発起人たり。尚当会社は、大正二年播州紡績株式会社、同五年田辺紡績株式会社、同十二年江州紡績株式会社を順次合併し、資本金千五十万…

 おわりに - 渡米実業団が訪問したピッツバーグの今昔 (9)

ピッツバーグにおける渋沢栄一と米国実業家の軌跡を7つのエントリーでご紹介してきましたが、そこでとりあげた様々なエピソードは現地を訪ねるまで全く知らないことばかりでした。現地でも建物やさまざまな施設自体の存在感に驚きましたが、その背景となる事…

 フィップス温室 - 渡米実業団が訪問したピッツバーグの今昔 (8)

〔 フィップス温室の今 / フィップス温室の歴史 / 創設者ヘンリー・フィップス 〕 フィップス温室の今 - 誤訳の発見 今回のピッツバーグ訪問に当たり『渋沢栄一伝記資料』記載の該当箇所を抜き出した中に、「フィリップス音楽学校」というものがありました。…

 シェンリー公園 - 渡米実業団が訪問したピッツバーグの今昔 (7)

〔 シェンリー公園の今 / シェンリー公園の歴史 / メアリー・シェンリーの社会事業への寄付 〕 シェンリー公園の今 シェンリー公園(Schenley Park)は、渡米実業団一行が投宿したシェンリー・ホテルに隣接した広大な公園です。ここは1909年11月5日に一行の…

 シェンリー・ホテル - 渡米実業団が訪問したピッツバーグの今昔 (6)

〔 シェンリー・ホテルの歴史 / シェンリー・ホテルの今 〕 シェンリー・ホテルの歴史 1909年11月5日に渡米実業団一行が投宿したシェンリー・ホテル(Schenley Hotel)は、『渋沢栄一伝記資料』に「ホテル・シェンレー」とも書かれています。ピッツバーグ東…

 マーガレット女学校 - 渡米実業団が訪問したピッツバーグの今昔 (5)

〔 マーガレット女学校の歴史 / マーガレット・モリソン・カーネギー・ホール 〕 マーガレット女学校の歴史 鉄鋼王アンドリュー・カーネギー(Andrew Carnegie, 1835-1919)が1900年に設立したカーネギー技術学校(Carnegie Technical Schools)には、女性の…

 カーネギー館 - 渡米実業団が訪問したピッツバーグの今昔 (4)

〔 カーネギー館 / ピッツバーグ・カーネギー図書館(本館) 〕 カーネギー館 1909年11月5日渋沢栄一は晩餐会のあと、カーネギー・インスティテュートで開催された音楽会に臨席しています。カーネギー館とも訳されたこの建物はピッツバーグ東部のオークラン…

 ウェスチングハウス社 - 渡米実業団が訪問したピッツバーグの今昔 (3)

〔 ウェスチングハウス / ウェスチングハウス・キャッスル 〕 ウェスチングハウス 1866年にジョージ・ウェスチングハウス(George Westinghouse, Jr., 1846-1914)によって設立されたウェスチングハウス電機会社(Westinghouse Electric Company)は、鉄道用…

 【東京】 平岡工場、汽車製造合資会社 【『渋沢栄一伝記資料』第12、53巻掲載】

鉄道の整備に尽力していた渋沢栄一は、輸入に頼っていた鉄道車輛を日本国内で製造するための車輌製造会社の設立も支援していました。それが、1890(明治23)年東京に創立された平岡工場と、1896(明治29)年大阪に創立された汽車製造合資会社です。 元鉄道局…

 【岐阜】 工場の設備、頗る完全にして壮大なり - 中央製紙株式会社 【『渋沢栄一伝記資料』第11巻掲載】

1906(明治39)年5月10日 (66歳)栄一、大川平三郎・田中栄八郎等と共に岐阜県恵那郡中津町に製紙会社を設立せんことを計画し、是日発起人会を開く。後起業の不利なるを見て一時其計画を延期す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事…

 ホームステッド製綱所 - 渡米実業団が訪問したピッツバーグの今昔 (2)

〔 カーネギー / ホームステッドの製鋼所跡 / 『アンドルー・カーネギー自叙伝』 〕 カーネギー スコットランドの手織職人の息子アンドリュー・カーネギー(Andrew Carnegie, 1835-1919)は、1848年13歳の時に両親と共に米国ピッツバーグに渡りました。ペン…

 渡米実業団が訪問したピッツバーグの今昔 (1) はじめに

実業史研究情報センターのスタッフはこの3月に米国北部の都市ピッツバーグを訪問し、1909年の渡米実業団の足跡をいくつかたどってまいりました。渋沢栄一率いる渡米実業団は1909年11月5日から6日にかけての2日間、ピッツバーグで鉄鋼王カーネギー縁の施設な…

 【大阪(中之島)】 岩本栄之助の公共事業への思いを支援 - 大阪市公会堂 【『渋沢栄一伝記資料』第48巻掲載】

1912(明治45)年4月16日 (72歳)是日栄一、関西銀行大会へ出席の為め下阪の機会に、大阪市公会堂建築事務所に立寄る。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 7章 行政 / 1節 自…

 【岡山】 財団法人興譲館 - 阪谷朗廬の教えを継承する私立学校 【『渋沢栄一伝記資料』第46巻掲載】

1926(大正15)年3月 (86歳)是より先明治三十八年、当館は社団法人となる。是月、組織を改めて財団法人となし、寄付行為の定むる所により、栄一を相談役に推す。栄一、之を諾し、在任歿年に及ぶ。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実…

 【神奈川】 箱根に牧場を拓く - 耕牧舎 【『渋沢栄一伝記資料』第15巻掲載】

1880(明治13)年2月 (40歳)是より先明治十二年、栄一、益田孝等と謀り、箱根仙石原に耕牧舎を興す。須永伝蔵此が管理に当り是月開拓に着手す。爾来栄一育成に努む。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二…

 【広島】 広島水力電気株式会社 - 黒瀬川からの電力供給 【『渋沢栄一伝記資料』第13巻掲載】

1905(明治38)年1月 (64歳)是月栄一、当会社取締役会長を辞任す。引続き相談役に就任したれども、明治四十二年六月六日辞任す。その間当会社のため尽力する所多し。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二…

 【北海道】 渋沢栄一、ビール会社設立を支援 【『渋沢栄一伝記資料』第11巻掲載】

1887(明治20)年 12月28日 (47歳)是より先栄一、浅野総一郎等と共に麦酒会社を設立せんとし、是月二十四日札幌麦酒醸造所所有者大倉喜八郎と同場譲渡の約定を結び、北海道庁長官岩村通俊に会社設立の出願を為す。是日許可せられ翌二十一年一月会社成立す…

 【東京】 愛宕山にて - 休戦記念日の放送 【『渋沢栄一伝記資料』第37巻掲載】

1926(大正15)年 11月11日 (86歳)是日午前、第八回平和記念日に方り、栄一、当協会会長として東京放送局より記念放送を行ふ。午後、当協会主催国際デー、上野公園内産業文化博覧会内に開かる。栄一出席して講演をなす。後、当協会は栄一の放送を英訳して…

 【宮城】 第七十七国立銀行 - 渋沢栄一、第七十七国立銀行の創立を支援 【『渋沢栄一伝記資料』第5巻掲載】

1878(明治11)年10月(?) [38歳]是より先、明治十一年二月、第七十七国立銀行創立発起人総代二人上京して栄一に会見し、銀行設立に関し指導を受けたりしが、是月栄一、渋沢喜作と共に仙台に到り、第七十七国立銀行の創立を指導し、株主と為る。同年十月十…

 【栃木】 日光東照宮三百年祭奉斎会 - 渋沢栄一、徳川家康の遺徳を記念 【『渋沢栄一伝記資料』第41巻掲載】

1913(大正2)年9月5日 [73歳]是より先、当奉斎会会長林董逝く。是日栄一、当奉斎会会長たることを承諾す。 出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 4章 道徳・宗教 / 2節 神社[承…

 カテゴリー「栄一ゆかりの地」新設のお知らせ

このたび本ブログに「栄一ゆかりの地」というカテゴリーを新設することにいたしました。これまで「今日の栄一」として日付を切り口に渋沢栄一の幅広い活動を紹介してまいりましたが、新しいカテゴリーでは「地域」を切り口として栄一が関与した事業、活動を…