情報資源センター・ブログ

情報の扉の、そのまた向こう

公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 1914(大正3)年6月23日 (74歳) パナマ太平洋万国博覧会 【『渋沢栄一伝記資料』第56巻掲載】

是より先、政府は、アメリカ合衆国政府の要請に応じ、パナマ太平洋万国博覧会に参同することを決定し、是年五月、臨時博覧会事務局を設置す。是日栄一、同事務局評議員を仰付けらる。爾後栄一、桑博観覧協会の名誉賛助に就任する等、右博覧会のため種々尽力し、四年十月二十三日、博覧会観覧を兼ね渡米の途に就く。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 2部 実業・経済 / 8章 政府諸会 / 1節 諮問会議 / 2款 パナマ太平洋万国博覧会臨時博覧会事務局 【第56巻 p.526-536】
・『渋沢栄一伝記資料』第56巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/56.html

パナマ太平洋博覧会は、1915(大正4)年にサンフランシスコで開催された万国博覧会です。
渋沢栄一伝記資料』別巻10 p.124には、博覧会開催に先立って発行された『巴奈馬・太平洋万国大博覧会』と、1915(大正4)年の博覧会視察を終えて帰国した一行の記念写真、寄せ書きが掲載されています。
なお、同書の「日本名士の寄書」中には栄一による一文も掲載されています。

巴奈馬太平洋万国大博覧会 新世界新聞社
               第一・第二五三−二五五頁 大正二年一月刊
 ○第四編 第二章 日本名士の寄書
   巴奈馬運河の開通を祝して米国人に望む
                      男爵 渋沢栄一
[前略] 惟ふに日米の国交は堅牢なること磐石の如くなるを以て余は聊も之を憂れざるなり、只窃に遺憾とするは太平洋沿岸に於ける一部労働者の日本人排斥運動なり、数年来の実験に徴すれば此運動たる或は学童放校問題となり若しくは土地所有禁止法案となるも、就て排斥の理由を糺せば外来の日本人が彼地に於て米国の習俗に同化せず、能く其の隣保に親近せざるためなりと称せらる、蓋し文物典章燦爛たる先進国に在りて自由・平等・博愛の国風に誇る人民が、廿世紀の今日尚且つ異人種として他国人を排斥するは余の固より首肯し難き所なるも、然ればとて他人の国に居住して其地の習俗に同化せず、隣保に親和せず同郷同種相集団して別に一敵国を構成するの姿あるも決して善事にあらざるなり。
 故に此等の弊は毎に之を矯め之を除き、以て両者の調和と親善とを計らざる可らず、之れ識者の共に念とすべき所にして、而かも今回巴奈馬運河開通して我対岸の桑港に於て之れが紀念として万国大博覧会の開設せられんとするが如きは、絶好無二の機会たらずんばあらず。 [後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第56巻p.536)

参考:Panama-Pacific International Exposition - Map
〔San Francisco Photo Collection - San Francisco Public Library〕
http://sfpl.lib.ca.us/librarylocations/sfhistory/ppie/ppiemap.htm
巴奈馬太平洋萬國大博覽會 : 大正四年開設豫定
〔NACSIS Webcat
http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BA39523259