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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1887(明治20)年6月30日 (47歳) 伊能忠敬遺功表建立出願 【『渋沢栄一伝記資料』第28巻掲載】

東京地学協会、伊能忠敬遺功表を芝公園内に建立せんとし、栄一、渡辺洪基等と共に同協会会員総代として、是日東京府知事高崎五六に出願す。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 2部 社会公共事業 / 8章 其他ノ公共事業 / 1節 記念事業 / 1款 伊能忠敬遺功表 【第28巻 p.524-528】
・『渋沢栄一伝記資料』第28巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/28.html

渋沢栄一は「遺功表」を建立した「東京地学協会」の会員でした。『渋沢栄一伝記資料』第27巻p.265には、同会設立時に栄一が資金収集などで尽力したことが、『新日本史』第3巻からの転載として紹介されています。

 ○地理学篇(理学博士 小川琢治)
    第三章 東京地学協会の創立
 明治二十年頃までの間の重要事件は、明治十二年東京地学協会の創立であつた。協会は朝野の地理学に興味を有する人士の組織した有力なる団体で、当初から倫敦・巴里・伯林等の欧洲諸学会と対等の地歩を占め、故北白川宮能久親王殿下親しく会長として会務を視られ、創立の際宮内省の御下賜金に、有志の醵金を加へて会館を建て、研究及び調査の成績を、講演及び報告により内外に発表する機関を設け、他の諸学会に率先して立派なる団体を成した。[中略]
 之を輔翼せる創立者中には伊藤博文井上馨鍋島直大蜂須賀茂韶・長岡護美・榎本武揚渡辺洪基・花房義質等の諸氏があり、渋沢栄一の如きも創立の際、井上馨と共に醵金を集め、本会の基礎を確立するに尽力せられた。[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第27巻p.265)

なお、この時に建立された碑は、「戦災で失われたため、昭和40年に現在のものが再建され」たとのことです(「伊能忠敬遺功表」〔東京都公園協会〕より)。
参考:東京地学協会の沿革
〔東京地学協会〕
http://wwwsoc.nii.ac.jp/tokyogeo/intro/shoukai.html
伊能忠敬(いのう・ただたか、江戸後期の地理学者、測量家。1745-1818)
伊能忠敬とは - 伊能忠敬記念館
http://www.city.katori.lg.jp/museum/tadataka.html
新日本史 / 三宅雄二郎監修 ; 萬朝報社新日本史編纂局編
〔NACSIS Webcat
http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BN08585537