情報資源センター・ブログ

情報の扉の、そのまた向こう

公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1907(明治40)年7月23日 (67歳) 第一回「昔夢会」開催 【『渋沢栄一伝記資料』第27巻掲載】

伝記編纂に就きその資料とせんがため慶喜自身よりその閲歴及び幕末の事情等に関する談話を聴取せんとし、是日兜町渋沢事務所に於て慶喜を中心とせる第一回談話会を開催、慶喜これを「昔夢会」と名つく。栄一出席す。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 2部 社会公共事業 / 5章 学術及ビ其他ノ文化事業 / 3節 編纂事業 / 1款 徳川慶喜公伝編纂 【第27巻 p.460-473】
・『渋沢栄一伝記資料』第27巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/27.html

渋沢栄一は『徳川慶喜公伝』自序で「昔夢会」について以下のように述べています。

[前略] 其事実を成るべく錯誤のない様にしたいといふ企望から、編纂諸氏の発意で、或る事柄について其事実を確かめる為に、私が会主となり、公を中心として、毎年数回会同して、種々の疑点を公に御尋ねいたし、又公の御前で討議もした。公は此会同を昔夢会と命名して、毎回必ず御出席下され、諸氏の疑問に対しては、殆ど心を虚しくして、其時の御思慮又は御行動を懇に談話せられ、事後を飾る心や依怙的感情などは一切除いて、有つた事は有つた、間違つた事は間違つたと、善なり悪なり、事実其儘、真直ぐにありし昔を御話し下されたのである。其一例を言はば、「葵の嫩葉」といふ書に、公の御幼少の時の事を御褒め申した記事があつたから、之を伺つて見ると、左様な事は一つもない、実に恥かしい事である、嘘に褒められるくらゐ不本意の事はないと仰せられて、全然否認せられてしまつた、此一事を以ても、公の虚心坦懐が証拠立てられる。 [後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第27巻p.454)

この日の「昔夢会」には、栄一の長男である渋沢篤二(しぶさわ・とくじ、1872-1932)、栄一の女婿である穂積陳重(ほづみ・のぶしげ、法学者。1855-1926)と阪谷芳郎(さかたに・よしろう、政治家。1863-1941)のほかに歴史学者三上参次(みかみ・さんじ、1865-1939)と萩野由之(はぎの・よしゆき、1860-1924)らが出席していました。「昔夢会」は日本におけるオーラル・ヒストリー(oral history)のごく初期の事例といえるでしょう。
なお、昔夢会での回想談は『昔夢会筆記』として出版されています。
参考:昔夢会筆記 : 徳川慶喜公回想談 / 渋沢栄一編 ; 大久保利謙校訂. -- (東洋文庫 ; 76)
〔NACSIS Webcat
http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BN01068639
[今日の栄一] 1907(明治40)年6月24日 (67歳) 『徳川慶喜公伝』編纂開始
〔実業史研究情報センター・ブログ 「情報の扉の、そのまた向こう」 - 2008年6月24日〕
http://d.hatena.ne.jp/tobira/20080624/1214290093
オーラルヒストリーのススメ / 清水唯一朗
〔Oral History Project / GRIPS〕
http://www3.grips.ac.jp/~oral/Japanese/POPE_06/06_11_01.html