情報資源センター・ブログ

情報の扉の、そのまた向こう

公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 1916(大正5)年7月25日 (76歳) 実業界からの引退 【『渋沢栄一伝記資料』第57巻掲載】

是より先栄一、古稀に際し、第一銀行及び東京貯蓄銀行を除く関係諸会社の職を辞せしが、是年喜寿に達したるを機とし、是日第一銀行頭取を、次いで二十六日、東京貯蓄銀行取締役会長及び東京銀行集会所会長を辞し、実業界より全く引退す。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 3部 身辺 / 7章 実業界引退 【第57巻 p.703】
・『渋沢栄一伝記資料』第57巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/57.html
この日は第一銀行の第四十期定時株主総会が開催された日で、渋沢栄一は議事終了後、辞任の意を表明し告別演説を行っています。『渋沢栄一伝記資料』第50巻p.113-119には、『竜門雑誌』第340号(1916.09)からの転載として、その演説の全文が紹介されています(「青渊先生頭取辞任彙報 : 第一銀行定時総会に於ける告別演説 / 青渊先生」)。
この演説の中で、栄一は、77歳の高齢にもなり、適任の後継者があるのにいつまでも席をふさぐことが心苦しい(『渋沢栄一伝記資料』第50巻p.114)と退職理由を、また引退後については、国民の本分として国交上に関する事、教育・社会政策などに努力するつもりで、財政経済については「人の問に対して答へるか又は意見があつたら之を述べると云ふことは、精力の有らん限りは継続致すであらうと思ふ」(同書p.117)と述べています。
参考:[今日の栄一] 1909(明治42)年6月6日 (69歳) 実業界引退
〔実業史研究情報センター・ブログ 「情報の扉の、そのまた向こう」 - 2008年6月6日〕
http://d.hatena.ne.jp/tobira/20080606/1212714971