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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1926(大正15)年7月28日 (86歳) ギューリック宛の「略伝」 【『渋沢栄一伝記資料』第40巻掲載】

是より先、アメリカ合衆国シドニー・エル・ギューリックは書を小畑久五郎に寄せて栄一の略伝を請ふ。仍つて是日、栄一自ら閲歴の概略を述べてこれに応ず。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 7節 其他ノ資料 / 5款 外国人トノ往復書翰 【第40巻 p.653-658】
・『渋沢栄一伝記資料』第40巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/40.html
シドニー・L・ギューリック(Sidney Lewis Gulick、1860-1945)アメリカ人宣教師で、長く日本に滞在しました。親日家であったギューリックは渋沢栄一とともに人形外交等で日米関係改善に尽力したことで知られています。また、小畑久五郎は渋沢栄一の英文秘書として、その国際交流において重要な役割を果たした人物でした。
ギューリックは友人から「米国と交流のある日本人・中国人の伝記を執筆したい」との相談を受け、渋沢栄一の略伝を請う手紙を小畑久五郎に寄せました。『渋沢栄一伝記資料』第40巻p.655-658には、「七月二十八日談話」として栄一自身による略伝の全文が掲載されていますが、その最後のパラグラフには以下のように記されています。

 御希望によつて私の経歴を斯様に述べましたのも、日本は米国と懇親である、今後とも懇親を進めて行かねばならない、日本人全体が私の経歴とか覚悟とかと同様のものを持つのではありませんが、日本人としての気持には変りはありませぬ、私は学問はない者でありますけれども、人は真実でなくてはならぬ。偽りがあつてはならぬ、と云ふことを信条として居りまして、さうして勉強し、人には親切に、自己の責任を守ることを主義として居ります、これこそ単に渋沢個人の主義のみでなく、実に日本国民の主義であります、再び申しますれば、未だ日米関係は円満に解決して居るとは云へませぬ、大なる憂ひがあり、同時に希望もあるのでありますから、私の偽らぬ経歴を申述べたのでありまして、日本人の真の性格をこれによつて幾分なりとも知つて欲しいと思ふのでご[ざ]います。
(『渋沢栄一伝記資料』第40巻p.658)

なお、栄一没後6年目の1937(昭和12)年、小畑久五郎は栄一の伝記を英文で執筆しています。前書きで小畑は「日本語の伝記は多数出版されているが、英文伝記が未だ発行されていなかったため」と、執筆の動機を記しています。
参考:An interpretation of the life of Viscount Shibusawa / by Kyugoro Obata (Bijutsu Insatsusho, c1937)
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http://books.google.co.jp/books?id=V-cBAAAAMAAJ&q=eiichi+shibusawa&pgis=1
〔NACSIS Webcat
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渋沢史料館テーマ展シリーズ“平和を考える"「渋沢栄一と青い目の人形 ―81年前の“The Doll Project”―」
渋沢栄一記念財団 渋沢史料館〕
http://www.shibusawa.or.jp/museum/event_theme.html