情報資源センター・ブログ

情報の扉の、そのまた向こう

公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 1927(昭和2)年8月8日 (87歳) ウォルター・ウィリアムズ 【『渋沢栄一伝記資料』第39巻掲載】

日栄一、アメリカ合衆国ミズーリ大学新聞学部長ウォルター・ウィリアムズを、飛鳥山邸に招待して茶会を催す。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 5節 外賓接待 / 15款 其他ノ外国人接待 【第39巻 p.496-504】
・『渋沢栄一伝記資料』第39巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/39.html

ウォルター・ウィリアムズ(Walter Williams, 1864-1935)は1908(明治41)年からミズーリ大学の初代新聞学部長を勤め、後にミズーリ大学学長となった人物です。『渋沢栄一伝記資料』第39巻p.497-501には『竜門雑誌』第468号(1927年9月)からの転載として、この茶話会での会話が紹介されています。
その中で、ウィリアムズは渋沢栄一から新聞記者養成の実情について尋ねられ、次のように答えています。

[前略] 従来新聞は世界から好ましからぬものとして非難せられ、記者は準備も教養もなく、何か書きたいと云ふやうな人達であつたから道徳的にも調子が低く、社会の腐敗して居る状態のみを好んで書くとか、煽動的なことを書くとかと云ふ状態で、所謂黄色新聞と云ふやうなものが、あちらこちらにあつた。[中略] 此の弊害を矯める為め、近頃各大学で新聞学部を置き青年を教育するやうになりましたが、[中略] 大学教育に於て新聞記者たるの修業を致しますので、今日では何れも相当の信用ある状態になつて居ります。[中略] 新聞事業は単に国内的の関係のみでなく、国際的でありまして、一般の国民として外国人に接するのは一部分の僅かな範囲の人にしか過ぎませんが、新聞は頗る広く、或る意味で大使に近い仕事をして居ります。それだけ任務として重大なるものがあり、新聞の記事に依つて非常な結果を生ずることもあるのであります。故に東京帝国大学の如きに新聞学部を置きますならば、他に見られぬやうな立派なものが出来、日本の新聞記者も一層優秀になるであらうと存じます。私は貧乏な教授ではありますが、其事が実行せられるならば、新聞に関する書物を集めて寄贈したいと思ひます。[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第39巻p.498-499より)

参考:Walter Williams Library in University of Missouri Special Collections
〔University of Missouri Libraries〕
http://mulibraries.missouri.edu/specialcollections/williams.htm
[今日の栄一] 1928(昭和3)年3月10日 (88歳) 新聞研究基金の募集
〔実業史研究情報センター・ブログ 「情報の扉の、そのまた向こう」 - 2008年3月10日〕
http://d.hatena.ne.jp/tobira/20080310/1205110876