是日栄一、THE AMERICAN SOCIETY OF MECHANICAL ENGINEERS 名誉会員に推薦せらる。次いで十一月五日、帝国ホテルに於て其推薦式行はる。
出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 3節 国際団体及ビ親善事業 / 25款 THE AMERICAN SOCIETY OF MECHANICAL ENGINEERS 【第38巻 p.213-222】
・『渋沢栄一伝記資料』第38巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/38.html
American Society of Mechanical Engineers 名誉会員証
(『竜門雑誌』第495号(1929.12)掲載)
(以下訳文)
子爵 渋沢栄一
人類の為め、科学及び芸術の成果を最も有効に適用し得るため、機械技師にとり必要なる知識の獲得を促進する団体たる、アメリカ機械技師協会の名誉会員たることを証す
1929年8月12日ニューヨークにおいて
1881年創立 アメリカ機械技師協会
会長 エルマー・A・スペリー
書記 カルヴイン・W・ライス
写真は『竜門雑誌』第495号(1929.12)の巻頭に掲載された名誉会員証です。『渋沢栄一伝記資料』第38巻p.213-222には、この会員証に記載されているテキストと訳文のほか、American Society of Mechanical Engineers 会長のエルマー・A・スペリー(Elmer A. Sperry, 1860-1930)からの書簡、1929(昭和4)年11月に行われた授与式の様子などが掲載されています。
エルマー・A・スペリーはジャイロスコープの開発等で有名な発明家で、1922(大正11)年、世界日曜学校大会で*1来日した折に飛鳥山邸に渋沢栄一を訪ね、理化学研究所を見学しています(『渋沢栄一伝記資料』第39巻p.222)。
また、スペリーは緊張する日米関係の改善に心を砕いた人物でもありました。1924(大正13)年に日米協会会長の金子堅太郎が辞意を表明した際には、スペリーは栄一宛てに書簡を送り金子に翻意を促すよう勧め、また1929(昭和4)年に万国工業会議を日本で開催するよう尽力、世界に日本の技術を知らしめようとしたこと等が『渋沢栄一伝記資料』や追悼録『我等の知れるスペリー博士』(スペリー博士追想録編纂委員会, 1931.07)の中で紹介されています。追悼録に寄せた序文の中で栄一はスペリーを「エジソンに継ぐ発明家」と形容しています。
参考:About ASME
〔American Society of Mechanical Engineers〕
http://www.asme.org/about/
*1:『我等の知れるスペリー博士]』p.80に「一九二二年世界日曜学校大会が東京に開催せられた時」とありますが、日本で開催されたのは1920(大正9)年でした。お詫びして訂正いたします。[2008.09.29]