情報資源センター・ブログ

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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 1929(昭和4)年8月14日 (89歳) 日華実業協会、油谷恭一の来訪 【『渋沢栄一伝記資料』第55巻掲載】

是より先、当協会、屡々幹事会を開きて、中華民国関係諸問題につき協議し、特に通商条約改訂問題に関しては、日本経済聯盟会と連合の特別調査委員会を設けて審議を重ね、「日支通商条約改訂に関する意見書」を作成す。是日栄一、箱根小涌谷三河屋旅館に於て、当協会書記長油谷恭一の来訪を受け、委員会審議の経過等に関し、説明を聴取す。右意見書は、両団体会長の連名を以て政府当局に提出せらる。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 2部 実業・経済 / 6章 対外事業 / 2節 支那満洲 / 6款 日華実業協会 【第55巻 p.509-521】
・『渋沢栄一伝記資料』第55巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/55.html

「日華実業協会」とは、「日華実業協会主意書及規則」によると「日華両国ノ親善ヲ企図シ、相互ノ経済的発展ヲ増進スル」(『渋沢栄一伝記資料』第55巻p.168)ことを目的に掲げた団体で、1920(大正9)年6月に創立されました。渋沢栄一は創立から1931(昭和6)年に他界するまで同会会長を務めました。
渋沢栄一伝記資料』に掲載された白岩竜平談話筆記からは、同会への栄一の関与の様子をうかがい知ることができます。

白岩竜平談話筆記          (渋沢子爵家所蔵)
                    昭和二年八月十日
    日華実業協会と青渊先生
[前略] 時には御老体故会の方より遠慮しても、御病気の外は殆んどすべての会合に臨まれる。精神を入れての御心配又万忙の間を当局者の訪問等、幹部一同は感激を通り越して居る。特に支那より有志家・実業家団体等が来朝する毎に赤心を他の腹中に置くの慨を以て懇切に応接される。思ふて言はさるなく、言ふて尽さゞるなからしめ、如何なる相手方でも之に心服せぬものはなかつたと思ふ [後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第55巻p.169-170)

日華実業協会書記長油谷恭一の名前は、栄一の日記や、栄一の予定を記した「集会日時通知表」の中にも多数見ることができますが、残念ながら『渋沢栄一伝記資料』からは詳しいプロフィールは確認できません。