情報資源センター・ブログ

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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 1926(大正15)年9月3日 (86歳) コナ開拓株式会社 【『渋沢栄一伝記資料』第55巻掲載】

是より先、栄一、当会社社長紺野登米吉の懇請により、事業資金の斡旋に尽力したるが、其後当会社の経営振はず、債務の弁済不能の状態となる。栄一、之が善後措置に関し、増田明六をして、外務省当局・日本興業銀行総裁小野英二郎・塩水港製糖株式会社社長荒井泰治・同専務取締役槙哲等関係各方面に奔走せしめ、是日、自らも横浜正金銀行頭取児玉謙次と会見して、融資の依頼をなす等、種々尽力す。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 2部 実業・経済 / 6章 対外事業 / 3節 其他ノ外国 / 6款 コナ開拓株式会社 【第55巻 p.630-640】
・『渋沢栄一伝記資料』第55巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/55.html

「コナ開拓株式会社」は紺野登米吉により設立されたハワイの製糖会社でした。渋沢栄一は経営不振となったコナ開拓を支援しましたが、1925(大正14)年、紺野登米吉の逝去により同社は競売・精算されることとなりました。その経緯が栄一の秘書である増田明六の日誌からの転記として『渋沢栄一伝記資料』第55巻に紹介されています。

(増田明六)日誌  大正一五年   (増田正純氏所蔵)
[前略]
十三日 土 曇            出勤
早朝飛鳥山邸ニ子爵を拝訪して
○中略
一 コナ開拓会社ニ関する件
同社ハ布哇ニ於ケル唯一ノ日本人ノ経営ニ係ル製糖会社ナリ、先キニ大正五年同地在住ノ紺野登米吉氏(最初ヨリ同社長トシテ経営ノ衝ニ当リシカ、大正十四年八月逝去)帰朝、渋沢子爵ノ紹介ニ依リテ当時ノ外務大臣後藤子爵・大蔵大臣勝田主計氏等ノ尽力ニ依リ、塩水港製糖会社々長荒井泰治氏・専務槙哲氏・取締役藤崎三郎助氏ノ保証(後保証ヲ解キ直接ノ債務者トナレリ)ノ下ニ、金参十五万弗ノ資金ヲ日本興業銀行ヨリ仰キ経営シタルカ、財界ノ不振ト経営宜シキヲ得サリシトノ為メ、最初ノ五年ハ年賦ニヨル元利金ヲ返済シタルカ、其後年年損失ヲ重ネ、遂ニ前記ノ荒井氏外二氏ハ合計百参十万円ノ債権ヲ有スルニ至リシ折柄、昨年八月紺野氏逝去ト共ニ将来ニ対スル見込立タサル状況ニ陥リ、三氏ハ紺野氏ヨリ債務ノ担保トシテ提供セルコナ開拓会社全部ノ財産ヲ、本年一月競売ニ附スルニ至レリ [後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第55巻p.637)

なお紺野登米吉については、『渋沢栄一伝記資料』第55巻p.636に栄一の日記からの転載で「布哇コナ地方ノ紺野氏」、同巻p.639には増田明六の日誌から「紺野登米吉氏(仙台の人)」と記されています。
参考:ハワイ移民史年表
〔移民資料室 - 和歌山市民図書館〕
http://www.lib.city.wakayama.wakayama.jp/wkclib_doc/sub14.htm
konno tomekichi - Google ブック検索
http://books.google.co.jp/books?ei=ole2SL3-D42EtAOqtqiICQ&as_brr=0&q=konno+tomekichi&btnG=%E6%9B%B8%E7%B1%8D%E3%81%AE%E6%A4%9C%E7%B4%A2