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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 1914(大正3)年9月10日 (74歳) 第一次世界大戦下の実業家 【『渋沢栄一伝記資料』第48巻掲載】

是日、大蔵大臣若槻礼次郎、官邸に銀行家を招き晩餐会を開催す。栄一出席して意見を述ぶ。十一月二十日、総理大臣大隈重信、栄一・中野武営・益田孝を官邸に招き懇談す。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 8章 軍事関係諸事業 / 1節 第一次世界大戦関係 / 1款 対独開戦 【第48巻 p.490-496】
・『渋沢栄一伝記資料』第48巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/48.html
1914(大正3)年7月、オーストリアセルビアに宣戦を布告したことに端を発し第一次世界大戦が始まりました。日本も同盟国イギリスの要請を受けて8月15日にはドイツに最後通牒を発し、23日に宣戦布告をしています。
最後通牒が発せられた翌日の8月16日、都下の主要実業家たちは官邸に招かれて総理大臣、外務大臣、大蔵大臣から事情説明を受け、その3日後の8月19日、渋沢栄一はじめ実業家らは総理や内務諸大臣を晩餐会に招き政府に協力する意向を表明しています。また、開戦後の9月10日、大蔵大臣若槻礼次郎は銀行家を招いて晩餐会を開催、そこで過剰反応により市場を混乱させないよう要請しています。
渋沢栄一伝記資料』48巻には、この時の栄一の発言が、『中外商業新報』第10197号(1914年9月11日)らの転載として紹介されています。

[前略] 最後に渋沢男[渋沢栄一]は欧洲の天地は前古未聞の大乱を発生し、生命財産の安固全く破壊さるゝの惨状を呈せるも、幸ひ日本の被る影響は欧洲諸国の如くならず、此際禍を転じて福となすは実に我国民の責務にして、我々は時局に対し猥りに悲観せず大に奮起すべきなり、而して今日の所吾々は政府に対し特に要求すべきことなく、只相共に国運発展の機宜を失せざるを念とするのみと述べ、午後十時散会せり [後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第48巻p.491)

第一次世界大戦は1918(大正7)年11月11日に停戦を迎え、翌年には国際連盟が設立されました。さらに停戦から8年後の1926(大正15)年にはドイツも国際連盟参加を果たしています。
晩年、渋沢栄一は毎年11月11日に平和のためのラジオ放送を行っていますが、『渋沢栄一伝記資料』第37巻p.111-113には、1926(大正15)年11月11日のラジオ放送の中で栄一が語った第一次世界大戦についての談話が紹介されています。