情報資源センター・ブログ

情報の扉の、そのまた向こう

公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 1917(大正6)年9月26日 (77歳) 早稲田大学維持員に就任 【『渋沢栄一伝記資料』第45巻掲載】

是より先、当大学学長天野為之の引退に際し、学園に紛糾を生ず。総長大隈重信病床に栄一・中野武営・森村市左衛門及び豊川良平を招き調停を依嘱す。是日栄一、当大学維持員に就任し、十月五日校規改定調査委員となり、更に十一月二十八日同調査委員会長に推され、種々尽力す。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 5章 教育 / 3節 其他ノ教育関係 / 8款 早稲田大学 【第45巻 p.332-337】
・『渋沢栄一伝記資料』第45巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/45.html
渋沢栄一伝記資料』第45巻p.333には『早稲田学報』(1927.11)からの転載として以下のように紹介されています。

○上略
 而して私が直接学園に関係する様になつたのは高田学長時代に早稲田大学基金管理委員長をしてからであります、その後は学園も急激な発展をしてゆきましたが、不幸にも大正六年所謂早稲田騒動なる学園にとつては洵に不祥事が勃発した為めに、学長が辞任せらる様なことになりましたから、老侯は病床近く森村翁・中野武営・豊川良平の三氏に私とを招いていはれるには『我輩は今日まで泣き言と愚痴とをいつた事が無かつたが、今度こそは困つた。どうか援けてもらいたい』と入念の御頼みですから、此際お引受けするより仕方があるまいと云ふわけで四人でお引受することになり、主に中野氏とはかり専任の学長を置くことにして、その後しばらくして高田さんが再び学園に還られて学長の任に就かれ、私達四人が維持員になることになりました。
○下略

参考:早稲田大学百年史
早稲田大学 大学史資料センター〕
http://www.waseda.jp/archives/hyakunensi.html
 

更新履歴

2012.09.26:リンク切れのため参考リンクを修正