是より先、栄一嫡孫敬三の主唱により、栄一の回想談を記録するため、雨夜譚会企画せられ、是日、飛鳥山邸に於て、其第一回催さる。爾後昭和五年七月に至るまで、回を重ぬること三十一回に及ぶ。
出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 3部 身辺 / 8章 雨夜譚会 【第57巻 p.708-715】
・『渋沢栄一伝記資料』第57巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/57.html
「雨夜譚会」は、渋沢栄一の回想談を記録するために栄一の嫡孫である渋沢敬三により企画された会で、「うやたんかい」と呼ばれています。『渋沢栄一伝記資料』第57巻p.708-709には雨夜譚会の趣旨が、渋沢敬三自身の言葉として次のように紹介されています。
[前略] 一体おぢい様の伝記に付て私の意見としては、同族なり又事務所なりで書き上げると兎角我田引水的になり勝であり、[中略] 竜門社で書くのでさへ同様の理由で感心しない。故に伝記を書くのは全然外部の人に願ひ度いと思つて居ります。然し我々としては、伝記として書き上げないからと云うて、全然関はらぬと云ふのは又よろしくない、資料は是非我々の手で出来るだけ蒐集して置かねばならぬ。[中略] そして後に伝記を書く人に自由に使用させねばならぬと斯様考へて居ります。[中略] 雨夜譚会では伝記を書かないで資料を集めよう、[中略] 研究的な態度でやつて行かう、私共の方で十分研究してから、お話を願ふことにしよう。又私達の方で研究が出来ないものは、専門家に頼み、その専門の学問から御祖父様を明治時代の古老として色々の事をお聞きすることにしよう。[中略] 斯様な方法でありますから、伺ふことも時代の順序を追はず、伺ひ度いと思ふ所、研究の届いた部分を願ふことにして、出来るだけ詳しい材料をとつて置き、単に伝記の材料とするのみならず、一般史家の材料たり得るものにし度いと思つて居ります。[後略]
なお、『渋沢栄一伝記資料』別巻5「講演・談話(一)」p.523-724には「雨夜譚会」全31回の記録『雨夜譚会筆記』が、また同巻の「解題」(p.2-5)には、『雨夜譚会談話筆記』を含む談話と講演に関する解題が掲載されています。