情報資源センター・ブログ

情報の扉の、そのまた向こう

公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 1908(明治41)年10月22日 (68歳) アメリカ大西洋艦隊歓迎演芸会 【『渋沢栄一伝記資料』第25巻掲載】

是より先、アメリカ大西洋艦隊来航す。是日、東京銀行集会所・東京交換所・銀行倶楽部合同して其歓迎演芸会を歌舞伎座に開く。栄一、主催団体を代表して歓迎文を朗読す。此前後に亘り各所に催されたる歓迎会に出席し、又其準備に尽力す。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 2部 社会公共事業 / 2章 国際親善 / 3節 外賓接待 / 12款 アメリカ大西洋艦隊歓迎 【第25巻 p.608-614】
・『渋沢栄一伝記資料』第25巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/25.html

1908(明治41)年10月18日、米国からの艦隊が横浜に入港しました。当時日米間には排日問題などによる緊張した空気が漂っていたにもかかわらず、艦隊の一行は日本の官民を挙げた大歓迎で迎えられました。『渋沢栄一伝記資料』第25巻p.608-614には、渋沢栄一の日記や当時の雑誌記事が転載されており、そこからは艦隊歓迎に関する協議が同年8月半ばからなされていたことや、艦隊滞在中の行事などについて読み取ることができます。
なお、11月2日には米国艦隊歓迎のために尽力した人々を慰労する茶話会が開かれましたが、その席で栄一が述べた祝辞が同巻p.609-610に、『竜門雑誌』第246号(1908.11)p.70からの転載として紹介されています。

○斎藤海軍大臣の茶話会 斎藤海軍大臣は米国艦隊歓迎の為尽力せられたる官民各方面の紳士数百名を、本月二日午後三時より築地水交社に招待して茶話会を開かれ、[中略] 青渊先生は来賓側を代表して、左の如く謝辞を述べられたり
只今は海軍大臣閣下より、我々が過般米艦渡来に際して聊か尽しましたる微衷に対し、御慰労の意を以て本日御招待下されましたとの御挨拶がありましたが、実に何とも申上様のなき程感謝に堪ぬ次第であります、而して此度米艦の渡来に就きましては、官と言はず私と言はず、等しく誠意を以て歓迎を致すべき次第で、敢て官のみが厚かるべき理由はないのでありますのに、只今の如き御話では甚だ痛み入りました事であります(拍手)然らば歓迎の主導者として尽力されたる海軍側の方々に対しては、却て我々から宴会でも開いて御慰労の為め御招待申上ぐべき筈でありますのに、却て本日の如く御招待に預りましたのは殆んど感謝の言葉がない程であります[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第25巻p.609-610)

参考:白船来航 - 米国大西洋艦隊にわく100年前の横浜・東京
〔館報「開港のひろば」 横浜開港資料館〕
http://www.kaikou.city.yokohama.jp/journal/101/index.html