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 1905(明治38)年11月21日 (65歳) 東京瓦斯創立20周年祝賀会 【『渋沢栄一伝記資料』第12巻掲載】

是日より三日間に亘り、芝公園内紅葉館に於て当会社創立二十年記念祝賀会を開催す。栄一出席して来賓に謝詞を述ぶ。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 1部 実業・経済 / 3章 商工業 / 21節 瓦斯 / 3款 東京瓦斯株式会社 【第12巻 p.682-694】
・『渋沢栄一伝記資料』第12巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/12.html

東京府の管轄として発足した瓦斯事業は、当初養育院などの事業とともに東京会議所がその実務を担当していました。渋沢栄一は1874(明治7)年に東京会議所の委託を受けてガス事業に携わり、1876(明治9)年に東京会議所から東京府に瓦斯事業が移管された際には府庁から直接委嘱されて瓦斯局事務長となりました。
1885(明治18)年、瓦斯事業は民間に払い下げられ、「東京府瓦斯局」は私企業「東京瓦斯会社」となりました。栄一は同社創業より委員長を務め、その後1893(明治26)年に改称した東京瓦斯株式会社では取締役会長として経営に関与しています。
1905(明治38)年11月、同社の創立20周年を記念して祝賀会が3日間にわたり開催されました。21日には関係各大臣、関係者数十名を招いた宴会が開催され、22日、23日には新聞記者、ガス利用者、株主らおよそ2000人を招き園遊会が盛大に開催されました。この日の様子は『渋沢栄一伝記資料』第12巻に『竜門雑誌』第211号(1905.12)p.33からの引用として以下のように紹介されています。

[前略] 本年は恰も創立満二十年に相当するを以て同会社は其記念を祝賀する為め去十一月二十一日芝公園紅葉館に於て宴会を開き元老、各大臣次官其他朝野の名士数十名を招待し、猶二十二日及二十三日の両日は引続き同所に於て園遊会を開き府市名誉職、新聞記者、瓦斯引用家、取引先株主其他会社に縁故ある朝野の紳士凡二千名を招待したるに、其設備は何れも丁重を極めしが就中瓦斯営業者の催しとて露店飲食物の熱器は尽く瓦斯を応用し、特に夜に入りて園内八方に蜘の巣の如く横架せる瓦斯器に点火し、猶各所には飾火の外数千燭光の大瓦斯万灯を点し、園内の闇黒を破りて万斛の光明を発散し、忽ち芝公園内に一大不夜城を現出せしめたるか如きは嘗て是迄世間に催されたる園遊会には全く比類なき所にして、大に来の賞讃を博したりと云ふ、[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第12巻p.686)

なお、栄一はこの祝賀会の謝辞で、東京瓦斯は順調に発展しているがロンドンに比べると東京ではまだまだ契約数が少ない、なお一層の努力を望みたい、と苦言を呈し以下のように結んでいます。

竜門雑誌  第二一一号・第一―三頁〔明治三八年一二月二五日〕
    ○我国に於ける瓦斯事業の発達
[前略] 斯く申上げると喜びの中に苦情、御礼の中に御怨を申すやうでありますが、決して怨言を以て折角の目出度い宴席に御耳を汚す積りではございませぬ、蓋し不足と云ふ考は何時もあるのが人間の常で、却つてそれが国の進歩にならうと考へまする以上は、私が茲に此紀念の席に於ける不足の意味を持ちたる一場の謝辞は或は大に将来の進歩に助けを与へまいものでもなからうと考へます、[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第12巻p.686)

渋沢栄一関連会社社名変遷図 >> 瓦斯 A
渋沢栄一記念財団 渋沢栄一
http://www.shibusawa.or.jp/eiichi/companyname/031.html
渋沢栄一関連会社社名変遷図 瓦斯 A