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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1911(明治44)年1月27日 (70歳) 豊川良平の慰労会  【『渋沢栄一伝記資料』第50巻掲載】

日栄一、東京銀行集会所第六十一回通常総会、銀行倶楽部第十四回定時総会に出席して議事を司宰し、次いで開かれたる、前銀行倶楽部副会長豊川良平の慰労会に臨みて、演説をなす。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 2部 実業・経済 / 1章 金融 / 1節 銀行 / 5款 社団法人東京銀行集会所 東京銀行倶楽部 【第50巻 p.438-440】
・『渋沢栄一伝記資料』第50巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/50.html

1911(明治44)年1月27日、東京銀行集会所、東京銀行倶楽部、東京交換所の3団体により、豊川良平(とよかわ・りょうへい、1852-1920)の慰労会が開催されました。
豊川は、1889(明治22)年から三菱系の第百十九国立銀行頭取、後に三菱合資会社の銀行部長として長年銀行業に携わり、銀行倶楽部委員長も務めた人物ですが、1910(明治43)年には三菱合資会社管事となり、銀行業から離れることとなりました。慰労会で渋沢栄一東京銀行集会所会長として演説を行い、豊川について次のように語っています。

銀行通信録 第五一巻第三〇五号・第三一―三四頁 明治四四年三月
  ○豊川前副会長慰労会演説      (一月二十七日)
    ○渋沢男爵の演説
閣下並に諸君、今夕は銀行集会所・手形交換所・銀行倶楽部の三団体が申合せまして、今般御栄転から銀行の資格をお脱しになつた豊川君が、従来銀行界に容易ならぬ御尽力を下された労を慰する為に、玆に宴を開きました次第でございます、[中略]
私共が豊川君と交誼を辱うしましたことは、茲に二十二年でございます、其間は多少説を異にしたこともござりませう、又同君の御注意を賛成し事の成功を期したこともございませう、又同君が我々と説を異にしてそれではならぬと憤られたことが或は有るかも知れませぬ、人各々考の異なることは免れませぬが、併し大体の方針に於ては常に其歩調を一にして、国家の為め我帝国の金融機関をして極く穏健に極く秩序的に、時機に遅れぬ発達を図ることに於ては全く其説を同うし、殊に其事には逞しい力を以て御尽力なされたと申上げても、決して御非難はなからうと思ふのでございます、[中略]
君は或場合には極く突飛に人を覚醒すると云ふお力を有つと同時に、極く緻密に事物に行渉ると云ふお考を持ちになる、蓋し豪放なる英雄と精密なる小心家とを合したやうなお人であると申上げた私の見解は甚だ相違は致すまい、満場の諸君も此説に御同意下さると思ふ、蓋し是れが豊川君の長い間我々と交誼を厚うして、今日斯の如く多数相集つて同君を慰労すると云ふ事実であらうと思ふのでございます、[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第50巻p.439-440)

参考:豊川良平
〔三菱人物伝 - mitsubishi.com〕
(上):http://www.mitsubishi.com/j/history/series/man/man09.html
(下):http://www.mitsubishi.com/j/history/series/man/man10.html
豊川良平関係文書
〔憲政資料 - 国立国会図書館
http://ndl.go.jp/jp/data/kensei_shiryo/kensei/toyokawaryouhei.html
再考岩崎彌太郎・豊川良平 : 三菱創業者といとこの関係 / 小林正彬 (PDF)
関東学院大学図書館〕
http://opac.kanto-gakuin.ac.jp/cgi-bin/retrieve/sr_bookview.cgi/U_CHARSET.utf-8/NI20000087/Body/link/kobayashi.pdf