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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1925(大正14)年2月18日 (85歳) 大川育英会の顧問に就任 【『渋沢栄一伝記資料』第46巻掲載】

是日、当会設立認可を受く。栄一顧問に就任し、在任歿年に及ぶ。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 5章 教育 / 3節 其他ノ教育関係 / 24款 財団法人大川育英会 【第46巻 p.108-113】
・『渋沢栄一伝記資料』第46巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/46.html

大川育英会は、実業家大川平三郎(おおかわ・へいざぶろう、1860-1936)により設立された育英基金です。平三郎の叔父にあたる渋沢栄一は、同会設立当初より顧問となり、没年に至るまでその活動を支援しました。
会の発足に際し、栄一は『埼玉及埼玉人』への寄稿文の中で、物事は目的と手段が相伴うべきもので、目的が有意義でも実現手段において欠落があれば、十分な成績をあげることはできない、運用する理事の選考が最も重要な問題であると述べ、さらに教育と農村衰微問題についても次のように言及しています。

[前略] 教育を受けんが為めに農村の青年が都会に出て来るのは誠に結構な事であるが、教育をうけた後に其等の青年は或ひは商業に或ひは工業に従事して、再び農村に帰へらうとしない。
 是くして農村が日に月に衰微し、之れを如何に解決すべきかは実に我が国の前途に横たはる一暗影であるとさへ云はれて居るが、[中略] 教育機関の完美もそれは都会地のみの事で、農村に至つては残念ながら之れが施設は甚だ遺憾に耐えない状態にある。即ち、農村には農に関して最も必要なる学識を、商工業地には商工業に関して最も必要なる学識をさづける様な教育方針の下に施設すべきであると考へる。[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第46巻p.112、『埼玉及埼玉人』第3巻第2号(1925.02)p.32-33「大川育英資金について」より)

参考:大川平三郎
〔彩の国の偉人〕
http://www.pref.saitama.lg.jp/A12/BE00/ijin/09.html