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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1893(明治26)年2月25日 (53歳) 青淵先生演説「竜門社諸子に告く」 【『渋沢栄一伝記資料』第26巻掲載】

日栄一、当社月次会に出席し「竜門社員ニ告グ」と題する演説をなす。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 2部 社会公共事業 / 3章 道徳・宗教 / 5節 修養団体 / 1款 竜門社 【第26巻 p.151-154】
・『渋沢栄一伝記資料』第26巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/26.html

1893(明治26)年2月25日、竜門社月次会の演説で渋沢栄一は、知識や財産を増すという話ではなく、「竜門社員の思想を堅固にしたい、徳義を高めたい」という希望を述べようと思う、と前置きをし、前年末に渋沢栄一暴漢の襲撃を受けたことに関連づけて、次のような趣旨の演説を行っています。

かつて、あるドイツ人との会話の中で、私は次のような忠告をされました。その人は日本の急成長の背景で、儒教や仏教を基盤とする美風良俗が失われることを懸念してこう言いました。
「気運の変転期には、悪いものが破壊されるのと同時に善いものの破壊も免がれない。機械や理学などの輸入と共に、たとえ善いことであっても昔の哲理は『古い』ものとして、また故老の教訓や父母の誘導なども野暮なものとして排斥されるようになってしまうのではないか。今後、智育のみ進んで徳育が伴わないようになったら、近い将来そのようなことが発生するだろう。」
この忠告をされた際、私はまさか、とは思ったものの、どうやら遺憾ながら今はそういう世の中になりつつあるようです。
先日、私は同業者にも「商売社会の徳義を進めて欲しい」と希望を述べましたが、特に竜門社員の諸君に心がけていただきたいのは、「それぞれに心に堅く守る所を持つ。どのような境遇にあっても、決してこの守る所を取りにがさない心を持つ」ということです。
「何を」というのはおかれた環境や能力により異なるでしょうが、「唯守る所を一つ持てよ、必ず守る所がなければならぬ」については、誰でも覚悟さえすれば必ずできることです。守る所がないと、放僻邪恣(ほうへきじゃし:勝手気ままでわがままな悪い行い)につながります。願わくば、竜門社員の皆さんには、将来のため「此言は必ず遺れぬ」ということをお約束致したいと思います。
(『渋沢栄一伝記資料』第26巻p.151-154掲載、『竜門雑誌』第59号(1893.04)p.1-9 「竜門社諸子に告く(青渊先生演説)」より編集)