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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1897(明治30)年3月24日 (57歳) 日本女子大学校の第一回発起人会に出席 【『渋沢栄一伝記資料』第26巻掲載】

是より先栄一、大隈重信の紹介により成瀬仁蔵と会見し、女子大学校の設立計画を聞く。栄一賛意を表し設立発起人たるべきことを承諾す。是日第一回発起人会に出席し、創立委員に選定せられ且つ会計監督に挙げらる。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 2部 社会公共事業 / 4章 教育 / 2節 女子教育 / 2款 日本女子大学 【第26巻 p.874-880】
・『渋沢栄一伝記資料』第26巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/26.html
渋沢栄一日本女子大学校創立にあたり、成瀬仁蔵(なるせ・じんぞう、1858-1919。教育者)から依頼を受けて創立委員、会計監督を務めています。『渋沢栄一伝記資料』第26巻p.875-880には同校設立の経緯や女子教育に対する渋沢栄一の考えが、さまざまな文献からの引用として紹介されています。

先生 「○中略 女子大学の相談を初め受けた時、私は之は中々容易でないと思つたから断つたが、成瀬は『到底他の人では成就せぬから、是非御願する』と泣くやうに頼むので、遂に断り切れず、相談に乗ることにした。[中略] 私は女子教育は必要だと信じて居るが余り趣味は持つて居らぬ。殊に大学程度のものには、国が力を入れねばならぬものだと思つて居る。それならば何故私が女子大学に力を入れて居るかと疑ふかも知れぬが、今日の状態は私が棚を差上げて居る様なもので、私が手を離せば落ちるからである。[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第26巻p.878掲載、『雨夜譚会談話筆記 上』(1926.10)p.68-73掲載)

参考:沿革
〔学園の概要 - 学校法人日本女子大学
http://www.jwu.ac.jp/grp/about/history.html
日本女子大学成瀬仁蔵生誕150年記念事業
〔学校法人日本女子大学
http://www.jwu.ac.jp/st/grp/naruse150/index.html
日本女子大学校長 成瀬仁蔵君

日本女子大学校長 成瀬仁蔵
『青淵渋沢先生七十寿祝賀会記念帖』([青淵先生七十寿祝賀会], 1911)掲載