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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1907(明治40)年3月25日 (67歳) 日清汽船創立総会 【『渋沢栄一伝記資料』第8巻掲載】

是日同会社創立総会を開く。栄一議長席に着き創立に関する諸報告を為し、尋いで取締役及監査役を選出す。栄一取締役に当選す。同会社は四月一日より営業を開始す。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 1部 実業・経済 / 2章 交通 / 1節 海運 / 5款 日清汽船株式会社 【第8巻 p.289-317】
・『渋沢栄一伝記資料』第8巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/08.html

[前略] 此の会社は、殆んど逓信省の強請に成つたとも云ふべき会社で、商船会社と郵船会社との支那航路を合同し、是に湖南汽船会社、大東汽船会社を併合したものである。実際の経営者としては社長石渡邦之丞・専務取締役白岩竜平、土佐孝太郎・竹内直哉など云ふ人々が居る。随分経営困難ではあるが内部に不都合なとは断じてない。何故私が此会社の重役になつたかと云ふと重役中には郵船側を代表した近藤(廉平)と商船側を代表した中橋(徳五郎)とが居て、両々相対峙する勢力であるから、是を調和して社内の勢力を合一せしめんがためであつた。[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第8巻p.290掲載、『実業之世界』第6巻第7号(1909.07)「日清汽船株式会社」より)

  • 白岩竜平(しらいわ・りゅうへい、1870-1942)
    岡山県折衛の三男。日清汽船専務。東亜興業常務。日華学会理事。明治三年(一八七〇) - 昭和一七年(一九四二)」(『渋沢栄一伝記資料』別巻4 p.612)
     
  • 近藤廉平(こんどう・れんぺい、1848-1921)
    徳島藩医玄泉の二男。幼名省三郎。明治一四年大叔父源兵衛の家を継ぐ。大学南校、慶応義塾に学び、三菱会社に入り、同社の鉱山・海運部門に任じ、明治一九年日本郵船成立に際して横浜支店長、後、同社長に任じた。尚、多数の事業に関与した。男爵。嘉永元年(一八四八) - 大正一〇年(一九二一)」(『渋沢栄一伝記資料』別巻4 p.609)
     
  • 中橋徳五郎(なかはし・とくごろう、1861-1934)
    実業家。逓信省鉄道局長などを経て大阪商船社長。
     参考文献:『日本人名大辞典』 (講談社, 2001.12)

日清汽船株式会社社長 石渡邦之丞君

日清汽船株式会社社長 石渡邦之丞君
『青淵渋沢先生七十寿祝賀会記念帖』([青淵先生七十寿祝賀会], 1911)掲載

参考:渋沢栄一関連会社社名変遷図 >> 海運 C
渋沢栄一記念財団 渋沢栄一
http://www.shibusawa.or.jp/eiichi/companyname/039.html
 
渋沢栄一関連会社社名変遷図 海運C