情報資源センター・ブログ

情報の扉の、そのまた向こう

公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 1928(昭和3)年3月26日 (88歳) 南米拓殖について協議 【『渋沢栄一伝記資料』第55巻掲載】

是より先、ブラジル共和国パラ州政府より我政府に対し、邦人植民により同州有地の開拓を慫慂し来たる。政府は、之を民営企業により経営せしめんとし、是日、東京・大阪・名古屋等各地実業家を外務大臣官邸に招き、総理大臣兼外務大臣田中義一より、之を勧説す。栄一、実業家側を代表して挨拶を述べ、且つ、右会社設立に関する準備委員として、団琢磨等十二名を指名す。
四月九日及び十九日、日本工業倶楽部に於て、右委員会開かれ、栄一それぞれ出席す。
八月十一日、日本橋倶楽部に於て、当会社創立総会開かる。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 2部 実業・経済 / 6章 対外事業 / 3節 其他ノ外国 / 7款 南米拓殖株式会社 【第55巻 p.641-652】
・『渋沢栄一伝記資料』第55巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/55.html

渋沢栄一伝記資料』第55巻p.646には、官邸での栄一の挨拶が『中外商業新報』第15126号(1928.03.27)からの転載として、次のように紹介されています。

[前略] 今日まで政府の実業家招待は、多くは実業家に金を出させる相談であつた、然るに今日はこれと反対に、ブラジルにおける棉花栽培、移殖民事業といふやうな結構な事業紹介に預つたことは喜ばしいことである、この事業は今後相当の研究を要するものと考へるから、私は事業の調査のため、委員を挙げて研究を進め度いと思ふ [後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第55巻p.646)

また、『渋沢栄一伝記資料』第55巻p.641には、、「南米拓殖株式会社創立目論見書」(1927.09)趣意書からの転載として、殖民会社が必要となった背景が次のように紹介されています。

熟々我国現状を通観するに、国土は狭少にして資源は乏しく、工業製品の販路拡張も亦容易ならず [中略] 之に伴ふ生活資料の消費は愈多く、国内の生産に依り自給すること困難にして、[中略] 国民の生活は窮迫し、思想は悪化し、労資階級の紛争等諸種の社会問題は頻々として起り、産業は萎微し経済界は不振に赴き、転々憂慮に堪へざるものあり、此の現状を打開して国運の進展を図らんには、国民奮起して海外の富源を獲得し、之を開発利用して国民の富力を涵養すること急務なり [後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第55巻p.641。原文のカタカナ表記をひらがなに変換)

外務大臣主催南米アマゾン川流域開拓問題協議会記念撮影 (昭和3年3月26日)
外務大臣主催南米アマゾン川流域開拓問題協議会記念撮影 (昭和3年3月26日)
渋沢栄一伝記資料』別巻10 p.206掲載 (渋沢史料館企画展図録『日本人を南米に発展せしむ : 日本人のブラジル移住と渋沢栄一』より転載)

参考:「ブラジル開発に実業家と懇談」 『中外商業新報』 昭和3年3月27日
〔電子展示会「ブラジル移民の100年」 - 国立国会図書館
http://www.ndl.go.jp/brasil/text/t061.html
南米拓殖株式会社 目論見書 (1928.04)
〔電子展示会「ブラジル移民の100年」 - 国立国会図書館
http://www.ndl.go.jp/brasil/data/R/045/045-001r.html