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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1897(明治30)年3月30日 (57歳) 渋沢倉庫部開業 【『渋沢栄一伝記資料』第14巻掲載】

是日、渋沢倉庫部開業す。栄一は営業主にして長男篤二部長たり。始め渋沢商店及山崎繁次郎之に加盟し匿名組合組織なりしも、明治三十六年一月以後は之を解き独立経営に改む。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 1部 実業・経済 / 3章 商工業 / 26節 倉庫業 / 6款 渋沢倉庫部 【第14巻 p.348-366】
・『渋沢栄一伝記資料』第14巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/14.html

[前略] 当会社の前身なる渋沢倉庫部は明治三十年三月三十日を以て深川区福住町五番地に営業を開始す。
 営業主渋沢栄一、倉庫部長渋沢篤二、支配人布施藤平なり、倉庫の所在地は渋沢家の外廓にして、前面は道路を隔てゝ西大島川支流の河岸に面す、同所は元米問屋近江屋喜左衛門の宅跡なりし故に、同河岸は近江屋河岸と称したり。
 同倉庫は倉庫部開設迄は横浜生糸問屋渋沢作太郎商店の経営にかゝる東京廻米問屋なる渋沢商店及山崎繁次郎(山崎は元渋沢商店員なりしが後ち独立して蔵ボーシとなりたるも、廃業して東京廻米問屋となる)の両店に貸渡しあり、尚其他の関係上倉庫部開業後、明治三十五年末迄六ケ年間は匿名組合の形式を以て、三名の所有倉庫を出資と看做し、各自の坪数に応じ、一定の借庫料を支払ひ、且つ期末決算の利益金は従業員の賞与を引去り、残額を三名の出資坪数に割当て配当金とす [後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第14巻p.349掲載、『渋沢倉庫株式会社三十年小史』(渋沢倉庫, 1931.06)「渋沢倉庫部時代」より)

1897(明治30)年3月30日、渋沢倉庫の前身となる渋沢倉庫部が深川区福住町で営業を開始しました。『渋沢栄一伝記資料』第14巻p.348-366には、創業当時の様子が様々な資料からの転載として紹介されています。
その中の一つ、『青淵先生六十年史』の第50章倉庫業・第1節渋沢倉庫部には、倉庫業は銀行業、保険業、輸送業とともに商業上欠く事のできない必要な機関であり、倉庫設備の充実、善良な保管習慣は商業の盛衰に関わるものである、と記されています(p.313)。
また『渋沢倉庫株式会社三十年小史』には、渋沢栄一倉庫業をはじめることになったきっかけが、渋沢篤ニの言葉として以下のように紹介されています。

    序
○上略 元来当社の起は拙生が若い頃深川の渋沢の家に先住者より継承した三・三の土蔵が相当にあつて、同姓故渋沢作太郎君の廻米店渋沢商店に提供して使つて貰つて居た昔風の蔵を、同君の諒解を得て、其当時第一銀行取締役兼支配人であられた佐々木勇之助君の指導の下に、青渊翁が拙生に多少共実業界の仕事の一端を覚えさすと云ふ目的で、渋沢倉庫部と称する極く小規模ながら一つの店形のものを開き之に附与し、蔵預営業を開始したのに始まり、夫が追々発展して今日に及んだ次第である ○中略
  昭和五年七月
              取締役会長 渋沢篤二
(『渋沢栄一伝記資料』第14巻p.349)

渋沢倉庫株式会社及深川倉庫

渋沢倉庫株式会社及深川倉庫
『青淵渋沢先生七十寿祝賀会記念帖』([青淵先生七十寿祝賀会], 1911)掲載

参考:沿革
〔企業情報 - 澁澤倉庫株式会社〕
http://www.shibusawa.co.jp/company/history.html