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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1924(大正13)年3月31日 (84歳) 日華実業協会で、日中親交機関設置について協議 【『渋沢栄一伝記資料』第55巻掲載】

日栄一、当協会幹事会に出席し、中日両国民の親交機関設置に関し協議し、右設置促進のため、当協会代表として、幹事角田隆郎を、中華民国各地に特派することを決す。角田隆郎は、四月十八日東京を出発し、上海・漢口・北京・天津・奉天の各地を経て、六月十七日帰京す。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 2部 実業・経済 / 6章 対外事業 / 2節 支那満洲 / 6款 日華実業協会 【第55巻 p.271-275】
・『渋沢栄一伝記資料』第55巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/55.html

 昨年春以来支那各地ニ勃発セル排日運動ハ、其影響頗ル重大ニシテ彼我貿易上ハ勿論、国交上固ニ憂慮ス可キ情態トナリ、当時本協会ニ於テ種々対応策ヲ講シ [中略]、其後両国ノ関係ハ漸次ニ良好ニ向ツテ来マシタノテ、本会ニ於テハ此機会ニ両国々民ノ親交ヲ確立ス可キ適当ノ施設ヲ為スコトヲ急務ト認メマシテ、再応審議ヲ重ネテ居リマシタ [後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第55巻p.274掲載、『日華実業協会第四回総会報告書 第四年度会務報告』(1924.12)p.416より)

当時、中国各地では二十一か条問題に起因した排日運動が勃発、それは「従来嘗テ見サル激烈ヲ極メ、誠ニ憂慮スヘキ情勢」となっていました(『渋沢栄一伝記資料』第55巻p.260)。
渋沢栄一が会長を務める日華実業協会では、1924(大正13)年3月31日に幹事会が開催され、上海・漢口・天津の3都市に両国民の実益となるような親交機関を設置すること、可能であれば現地の排日側を含め、現地の実業家を勧説して名誉会員、名誉顧問就任を依頼し、日華実業協会との直接の連絡を可能にすること、現地調査のための派遣員のことなどが協議されました(『渋沢栄一伝記資料』第55巻p.271-272)。
現地に派遣された角田隆郎とは日清汽船の取締役を務めた人物で、1923(大正12)年6月末に日華実業協会の評議員ならびに幹事に推挙され、常任幹事に就任しています(『渋沢栄一伝記資料』第55巻p.263)。
角田は視察で上海・漢口・北京・天津・奉天の各地を訪れました。現地では張謇(Zhang Jian、ちょうけん、1853-1926)など、各界の要人と意志疎通を計り、親善機関の設置について意見交換をしたことが、『渋沢栄一伝記資料』第55巻p.274-275に、『日華実業協会第四回総会報告書 第四年度会務報告』からの転載として紹介されています。
参考:対華二十一か条要求
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http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%AF%BE%E8%8F%AF%E4%BA%8C%E5%8D%81%E4%B8%80%E3%81%8B%E6%9D%A1%E8%A6%81%E6%B1%82/