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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1918(大正7)年4月6日 (78歳) 東京商業会議所、唐紹儀一行を招待して午餐会開催 【『渋沢栄一伝記資料』第56巻掲載】

是日、当会議所に於て、中華民国前総理唐紹儀一行招待午餐会開かる。栄一、陪賓として出席し、演説をなす。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 2部 実業・経済 / 7章 経済団体及ビ民間諸会 / 1節 商業会議所 / 1款 京商業会議所 【第56巻 p.37-40】
・『渋沢栄一伝記資料』第56巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/56.html

1918(大正7)年4月6日、東京商業会議所は、唐紹儀(T'ang Shao-i、とうしょうぎ、1861-1938。中国の政治家・実業家)を招待して午餐会を開催しました。『渋沢栄一伝記資料』第56巻p.37-40には、午餐会での主客双方のスピーチが『東京商業会議所報』第1号(1918.05)p.5-7からの転載として紹介されています。
そのスピーチの中で、東京商業会議所の会頭、藤山雷太(ふじやま・らいた、1863-1938)は唐紹儀を次のように紹介しています。

唐君は [中略] 支那に於きましては最も勢力(あ)る政治家でありまして、嘗ては国務総理の重職に居られました方であります、又民間に在つては最も実業に力を尽されまして、現に金星保険会社を起して自から其社長となつて居られますると云ふやうに、常に政治・実業の両方面に向つて力を尽され、支那に於て最も有力なる御方であります、私は三年に支那へ旅行しまして君を上海の寓に訪ひまして、此日支の将来の事に就いて胸襟を開いて御話を致しましたことがありまするが、[中略] 其時どうしても日支の間は国民的に連絡を取らなければならぬ云ふ所の議論を唱へられた唐君であります、[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第56巻p.37)

これに応えて唐紹儀は、親善も立場によっては誤解や意見の相違が生じることがあるが、互いに利益を得る商業原則の立場に依ることで、「真正なる親善の道」が成立するだろう、そのためには目先の利益ではなく、「永久の利益に着目し、以て将来両国の相互の利益を計ること」を期待したいと述べ、さらに続けて「弊国の此実業発達を望むには、其前提として先づ法律を守る中央政府がなければなりませぬ、法律を守つて憲政の常規に添ふ、さう云ふ政府があれば支那の治安も維持することが出来ます、然かる後に支那の実業の発達を望むことも出来、又貴国が弊国に向つて商業をなすにも何等不安の影響を受けないのであります、而して貴我両国の相互の利益も、東亜の平和も、此前提の下に於て始めて成立するのであります。」(『渋沢栄一伝記資料』第56巻p.39)と自国の事情についても言及されています。
渋沢栄一は、唐紹儀のスピーチに続けて次のように語っています。

[前略] 帝国[日本]の此実業に対する政治の方針も成る可く自国のみの考を持たず、両国共に利益を得ると云ふ方針にやりたい、同時に貴国もどうぞさう云ふ考を有つて、自国のみの観念を止めて、両国相共に進むと云ふことに御考を付けて頂きたい [中略] 経済は我れ人共に利するのでなければ、真実貫徹したと申せぬのであります、どうぞ真の経済をなすには、両方の利益の進むと云ふことを要点として進むやうに致したいと思ひます、我々実業家も唯自己丈けの利益を主とせず、又唐大人の御戒しめの通り、目前の利益を貪ぼることなく、永遠と双方との公益とを要旨として進むやうにしなければならぬと思ひます、貴国の官とし民とし、即ち政府とし人民とし、どうぞ其主義を成る可く推拡まるやうに、唐閣下の御力に依つて、御帰国の上は其域に達せしめられんことを希望致します、[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第56巻p.40)