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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1876(明治9)年5月11日 (36歳) 渋沢栄一、養育院事務長に任命される 【『渋沢栄一伝記資料』第24巻掲載】

日栄一、養育院事務長に任命せられ、引続き当院事務を主管す。同月二十五日、東京会議所は其養育院行務を府庁に還納す。仍つて当院は東京府の経営するところとなり、同年六月東京養育院と改称す。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 2部 社会公共事業 / 1章 社会事業 / 1節 養育院其他 / 1款 東京市養育院 【第24巻 p.50-68】
・『渋沢栄一伝記資料』第24巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/24.html
養育院とは、東京の生活困窮者などを保護する目的で1872(明治5)年に設立された福祉施設です。渋沢栄一は1874(明治7)年より養育院の運営に関与し、終生その存続・発展に努めました。
渋沢栄一伝記資料』第24巻p.52には、栄一が養育院に関与することになった経緯が栄一本人の言葉により、次のように紹介されています。

[前略] 当時余は其頃新設せられたる第一国立銀行の頭取を勤めて居たが、本業の傍ら時々[東京]会議所にも出席して居たのである、而して議員等は予ねて会議所が諮問機関でありながら執行機関であることを不可なりとして、遂に知事の同意を得て執行に関する実務は東京府の管理に属せしめ、会議所は単に知事の諮問に応ずることに改正した、而して余一人だけは一方議員として会議に与かると同時に、他方には養育院の院長、瓦斯局の局長、商法講習所の評議員東京府知事から任ぜられて其実務に鞅掌したのである、明治十二年に府県会の制度が設けられ、又商法会議所なるものが出来て、講習所の仕事は商法会議所に於て監督し、瓦斯局は東京府の事務に移り、養育院も東京会議所の手を離れて府知事の管理となり特に院を置きて其事務を担当することゝなつたのである [後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第24巻p.52掲載、東京市養育院創立五十周年記念『回顧五十年』(東京市養育院, 1922.11)p.6-7より)

1876(明治9)年5月11日、栄一は養育院事務長に任命されましたが、1879(明治12)年8月18日に事務長が院長と改称され、養育院院長と称することになりました(『渋沢栄一伝記資料』第24巻p.69)。
なお2000(平成12)年、養育院の名称は「東京都養育院条例」廃止により消滅、施設は東京都高齢者施策推進室の所管となりました。
参考:渋沢史料館企画展図録『養育院 : 福祉・医療の原点をさぐる』
〔渋沢史料館 - 渋沢栄一記念財団〕
http://www.shibusawa.or.jp/museum/store/siryokan07.html