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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1923(大正12)年6月15日 (83歳) 渋沢栄一と馬越恭平、中国旅行を追懐して記念会を開催 【『渋沢栄一伝記資料』第32巻掲載】

日栄一、馬越恭平と謀り、大正三年渡支記念会を浜町常盤屋に催し、席上追懐談をなす。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 1節 外遊 / 2款 中国行 【第32巻 p.614-615】
・『渋沢栄一伝記資料』第32巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/32.html

竜門雑誌  第四二二号・第五九―六〇頁 大正一二年七月
○大正三年渡支記念会  青渊先生には、大正三年五月二日馬越恭平氏等十二名の諸氏と共に支那旅行の途に上られ、六月十五日帰京せられてより、本年は恰も十週年に相当するより、青渊先生には馬越恭平氏と相胥り、六月十五日午後六時より浜町常盤屋に於て記念会を催したるが、当日の出席者は同一行の一員たりし渋沢武之助明石照男増田明六野口米次郎諸氏、並に支那各地に於て一行の為め特に斡旋せる小田柿捨次郎・石井徹・角田隆郎・実相寺貞彦・小田切万寿之助野村竜太郎神田正雄・松本健二郎・倉知鉄吉・尾崎敬義・白岩竜平諸氏にして、席上青渊先生・馬越恭平氏等の追懐談あり、十時散会せりと云ふ
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.614)

なお、『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.614-615に掲載された増田明六(ますだ・めいろく、1873-1929。栄一の秘書)の日記には、この日の来会賓客のプロフィールが以下のように記されています。

小田柿捨次郎 [おだがき・すてじろう、1865‐1928]  前上海三井物産支店長  
石井轍  前上海郵船支店長
角田隆郎  前日清汽船漢口支店長
実相寺貞彦  前北京正金支店長
田切万寿之助 [おだぎり・ますのすけ、1868-1934]  正金取締役
野村竜太郎 [のむら・りゅうたろう、1859-1943]  前満鉄社長
神田正雄 [かんだ・まさお、1879-1961]  前朝日新聞北京特派員
松本健二郎  [記載なし]
倉知鉄吉 [くらち・てつきち、1871-1944]  前中日実業副総裁
尾崎敬義  前中日実業取締役
白岩竜平 [しらいわ・りゅうへい、1870-1942]  前日清汽船重役

また、『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.502に紹介されている栄一の中国旅行に随行・同行した者のうち、この記念会に出席したのは以下の5名でした。

渋沢武之助 [しぶさわ・たけのすけ、1886-1946] 令息 [栄一の三男。長男夭逝のため、次男と記す文献もあり]
明石照男 [あかし・てるお、1881-1956] 第一銀行営業部副支配人 [栄一の女婿。夫人は栄一の三女、愛子]
増田明六 [ますだ・めいろく、1873-1929] 秘書役 [1909年の渡米実業団にも同行]
野口米次郎 中日実業会社社員
馬越恭平 [まごし・きょうへい、1844-1933] 大日本麦酒会社社長