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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1909(明治42)年6月22日 (69歳) 渋沢栄一、日清起業調査会会合に出席 【『渋沢栄一伝記資料』第54巻掲載】

是より先、栄一、益田孝・近藤廉平・大倉喜八郎と共に、当調査会を組織し、屡々会合して、中国経済事情の調査に当りたるが、是日、三井集会所に於て、外務次官石井菊次郎等を交へて会合し、中国に於て各般の事業を営むべき会社の設立につき協議す。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 2部 実業・経済 / 6章 対外事業 / 2節 支那満洲 / 2款 日清起業調査会 【第54巻 p.483-484】
・『渋沢栄一伝記資料』第54巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/54.html

銀行通信録  第四八巻第二八五号・第五三頁 明治四二年七月
    ○対清企業団の組織
渋沢・大倉・益田・近藤等有力なる実業家諸氏の間には、予て日清企業調査会なるもの組織せられ、種々調査中なりしが、過般粤漢・川漢両鉄道借款問題の興起は、痛く我政府当局者を刺撃して、少からざる努力を為さしむるに至り、其結果前記の実業家諸氏は、六月二十二日三井集会所に会合の上、愈々一の対清企業団を組織することに決したり、而して右企業団の地位は、英国「シンヂケート」と同様なるも、我国法上「シンヂケート」の組織を認めざるのみならず、出資者側に在りても無限責任の組織となすには躊躇の向もありて、結局資本金百万円の株式会社となし、此会社を通じて清国鉄道に要する枕木其他の建築材料を供給せしむる計画にて、不日桂総理大臣より関係実業家を招き協議を重ぬる筈なり
(『渋沢栄一伝記資料』第54巻p.483-484掲載)

この日の会合で「対清企業団」を組織することが決定、約2ヶ月後の8月18日には東亜興業が設立されました。日清起業調査会の設立経緯については『渋沢栄一伝記資料』中に『東京経済雑誌』、大蔵省預金部編『東亜興業株式会社融通金ニ関スル沿革. 上』それぞれからの転載として以下のように紹介されています。

[前略] 清国人の企業の為めに我在清領事其他を介して借款を申込むもの二・三ありしが導火となりて、外務当局者の発意に依り、四・五の有力者会員となり、外務省より補助金を与へて其経費に充てたりし日清起業調査会なるもの其 [東亜興業の] 前身なりといふ、[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第54巻p.485-486掲載、『東京経済雑誌』第60巻(1909.07)より)

明治四十年四月渋沢栄一近藤廉平益田孝大倉喜八郎四氏ハ対清経済事業調査ヲ目的トシテ、日清起業調査会ナルモノヲ起シタルカ、同調査会ハ実ニ東亜興業株式会社ノ前身ヲ成スモノトス、[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第54巻p.502掲載、大蔵省預金部編『東亜興業株式会社融通金ニ関スル沿革. 上』(1929.05)より)

参考:石井菊次郎 (いしい・きくじろう、1866‐1945)
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