竜門雑誌 第二五四号・第二二―二七頁 明治四二年七月
青渊先生の二大決断
左の一篇は、六月二十四日竜門社評議員会に於て、青渊先生が実業界勇退と渡米の二事に就て、同社員に告白したる演説筆記なり
○中略
○男爵の渡米と国際関係 それから更に一つ申上るのは、昨年亜米利加から実業界の人々が、日本の各商業会議所からの誘引に依つて、本邦へ視察といふか、観風といふか、来られた、[中略] 今度は米国から来て呉れと言ふて来られたさうです、[中略] 是非私に一行の代表者に為つて呉れといふ相談を受けました、[中略] 判然国家の関係と云へるかどうか、知りませぬが、所謂老後の御用納の覚悟を以て御引受けしませうといふことを [中略] 答へました、[中略] 桂侯爵・井上侯爵抔も、これに付てはどういふ振合にして遣たら宜いか、どういふ顔振を選んだら宜からうかと申すことを、蔭ながら力を添へられるやうな訳で、昨日も桂侯を尋ね、今日も他の用で井上侯を尋ねました所、愈々立つさうだが、それに付ては余計なお世話か知らぬが、兎に角個人とは云ふものゝ、自ら一国の商売社会を背負つて行くやうな訳になる、誰が見てもさう見えるから、君が行くならば、政府の事は己は知らぬでは困る、さればと云つて役人でないから、さう細いことは知らぬでも宜いが、財政の事は一通心得て行つて呉れぬでは困るといふやう話で、段々注文が重なりさうでございますが、勿論そんな事を聴いて行つて、亜米利加でそれを役に立てるといふことは出来まいと思ひますけれども、愈々私が出掛けると云ふに付て、多少老人連が同情して、心配をして呉れるといふやうな訳でありますが、私に取つては、存外責任の重き旅行をせねばならぬ場合になつたので、只其決意を致しましたといふことをお話申して置きます。(完)
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.6-8掲載)