出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 5節 外賓接待 / 15款 其他ノ外国人接待 【第39巻 p.40】
・『渋沢栄一伝記資料』第39巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/39.html
竜門雑誌 第二五四号・第六二―六三頁 明治四二年七日
○モールス氏招待会 青渊先生には、去六月二十九日午前十一時半、飛鳥山邸へ先般来朝の米国貿易商会長ゼー・アール・モールス氏を招き午餐会を催ふされたるが、同日は同氏の外、同商会の支配人デイ・エイ・ブレーキ氏及瓜生震・竹内綱・浅野総一郎・中野武営・大川平三郎諸氏を招待し、余興には寺崎広業・望月金鳳両画伯の席画抔あり主客歓を尽して夕景散会したるよし
(『渋沢栄一伝記資料』第39巻p.40)
渋沢栄一はジェー・アール・モールス(James R. Morse、横浜モールス商会会長)について、後に雨夜譚会で次のように語っています。
雨夜譚会談話筆記 下・第四三八―四三九頁 昭和二年一一月―昭和五年七月 (渋沢子爵家所蔵)
第十五回 昭和二年十一月十五日午後五時半 於飛鳥山邸
一、明治卅四年十二月神戸市対モールスの神戸水道公債事件を調停せられしに就て
先生「モールスとの此問題は詳しい記憶がありません。問題の調停に這入つたのは私がモールスと懇意であつた為だつたと思ふ。といふのは此の人がやりかけた京仁鉄道を私等が買収した関係があつた。此事が明治卅一年であります。其以前に神戸市が借金をして居つたが、之れは銀の貸借になつて居つた。その後市とモールスとの間に銀相場の変動から問題が生じたものだから、モールスから私に内々で希望を打開けて調停を頼んで来た。それで私が神戸市へ話してやつた迄だらう思ひます。それで双方了解して呉れて治りました。モールスと云ふ人は左まで上品な人ではなかつたけれども、事業経営の才はありました
(『渋沢栄一伝記資料』第28巻p.433)
『渋沢栄一伝記資料』中、モールスの名は上記以外では、第28巻p.426-433「神戸水道公債問題」、第54巻p.403「朝鮮軽便鉄道株式会社(朝鮮中央鉄道株式会社)」、同巻p.455「朝鮮鉄道促進期成会」などの項目にも出現しています。