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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1909(明治42)年8月30日(月) 航海13日目 - 渡米実業団覚書を起草、アメリカ人招待会を開催

渋沢栄一 日記 1909(明治42)年 (渋沢子爵家所蔵)

八月三十日 曇 冷
午前七時起床、入浴シ、畢テ甲板上ヲ散歩ス、昨夜来風穏カニ船静ナリ、八時半朝飧ヲ食ス、後喫煙室ニ於テ一行中ノ数名ト会話ス、ヒル氏著ノ合衆国ノ将来ト題スル書ヲ再読セシム、此日ハ晩飧後ニ於テ船員及同船ノ旅客ヲ招宴スル筈ニテ余興ノ準備等ニ各員多忙ナリシ、午飧後米国史ヲ読ム、又本邦ニ発スヘキ端書数葉ニ署名ス、七時晩飧ヲ畢リ、九時ヨリ船中食堂ニ於テ招待会ヲ開ク、会スル者百名余、内外人間ニ各様ノ余興アリ、米国方令嬢連ノ音曲合奏、本邦方ノ催ニ係ル能狂言ヲ英語ニ訳シテ之ヲ演シタルモノ、尤モ多数ノ喝采ヲ博セリ
演芸ニ先チテ、余ハ一行ヲ代表シテ挨拶ヲ述ヘ、船長及米国人中ノスチビンソン氏答辞ヲ述フ、後又競技会ニ於ケル優勝者ニ賞品授与ノ事アリ、船中歓声湧カ如ク、賓主充分ノ歓ヲ尽シ十二時散会ス
 (欄外)
此日一行ヲ喫煙室ニ会シテ、幹事以下各課ニ於テ制定シタル規程ヲ示シテ、一行ノ承認ヲ得タリ
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.57掲載)


竜門雑誌』 第262号 (1910.03) p.41-49

    ○青渊先生渡米紀行
         随行員 増田明六記
八月三十日 月曜日 曇
風収まり浪平かなり
午前十時団員総集会を開き、青渊先生議長となり、実業団の覚書を討議し、左の如く決定す(上陸の日近きに在り、毎日委員会ヤラ、総集会等が開催せられ、青渊先生は頗る多忙なり)
     渡米実業団覚書
  一本団を渡米実業団と称す
  二本団は米国太平洋沿岸商業会議所の招待を受け渡米する一行より成る
  三本団に団長一名・委員長一名・委員若干名を置き、団員の部署を定め、其規程を設け、以て団務を処理すべし
  四団員は凡て団長の指揮に服従すべきものとす
  五団員は各々自重して其言行を慎み、専ら日米両国の親善を進め、通商の発展を期すべし
青渊先生は、覚書第五項を敷衍して、本団は愛国心を以て精神とすべし、本団の後方には日本国民あることを忘る可らず、愛国心を精神となして、誠心誠意事に当れば、何物か之に抗するものあらざるべしとて、言忠信行篤敬雖蛮貊之邦行矣と古語を引いて、懇切なる注意を与へられたり
今夜九時食堂に於て米国人招待会を催ふし、其席上此間中の競技優勝者に対する賞品授与式を執行し、夫れより左記順序に依りて招待会を開催する都合なれば、是に出演する人々は其稽古にて大騒ぎなり
    ミネソタ号同船 米国人招待会順序
       第一部
 一挨拶          渋沢男爵
 一答辞          スチブンソン氏
 一合唱及奏楽(三曲) 米国紳士淑女有志
 一仕舞(羽衣)      舞伊藤守松氏 スケ中野武営氏
 一合唱及奏楽      米国紳士淑女有志
      第二部
 一謡曲(松風)      高辻・町田・田辺・西村・西池・石橋・巌谷・飯田の諸氏
 一バイオリン独奏(一曲) 米人ホープ
 一ピアノ独奏(一曲)   同パラシス嬢
 一剣舞(鞭声)      斎藤修君
 一狂言(太刀奪)(英語) 大名高石氏 冠者飯利氏 武士上田氏
 一君が代         日米人一同
      散会
午食も済み晩餐も済むと、食堂は委員とボーイ総掛にて食卓を片付けるやら、装飾を為すやらにて一時大混雑なり、軈て定刻前に至れは見紛ふ計り立派となり、天井は各国の国旗を以て縦横に張られ、四方は日米両国旗にて装飾され、迚も船中の食堂とは思はさる程なり、定刻に至れば米賓を始め、船長並重なる船員及実業団一行何れも男女盛装して参会した、其数百幾十、先以て競技会の優勝者に対する賞品授与式を執行し
   米国人の優勝者には、青渊先生令夫人の手より賞品を授与し
   日本人の優勝者には、セルデン令夫人の手より賞品を授与せられたり
右拍手喝采を以て始り、拍手喝采に終り、次に招待会に移り、簡単併し意を込たる小宴の後、青渊先生先づ起て挨拶を為し、且現大統領タフト氏及前大統領ローズベルト氏の健康を祝し(神田男爵英訳)次にステブンソン氏答辞を述べ、且我 天皇陛下の健康を祝す(堀越善重郎氏和訳)尚此席に於て船中の優待に対し、一行より大北鉄道会社長ヒル氏に宛たる感謝状を朗読し、且船長代理に感謝状を送呈したり、(同社にては一行の賃金を半減にしたり)之にて式を終り、余興に移る、西洋人の合唱・奏楽・独奏、何れも手に入つた者、伊藤氏の舞、中野氏のスケ、連中の謡曲、斎藤氏の剣舞は遣り度て耐らぬ人々だけありて上手の者なり、狂言太刀奪は先づ其大体の筋を神田男爵西洋人の為に説明して、夫れから遣つた故に西洋人も腹を抱いて大悦び、是が終りてホープ嬢の弾奏にて君が代を一同合唱し、之にて式を終り、主客大満足の後午後十二時半散会したり
明日は愈々シヤトル入港
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.75-77掲載)


渡米実業団誌』 (巌谷季雄, 1910.10) p.75-86

  ○第一編 本記
     第二章 渡航日誌
八月三十日(月)曇時々雨
午前団長室に幹事会を開き、渡米実業団覚書を起草す。左の如し。
     渡米実業団覚書 ○略ス
午後喫煙室に総会を開き、覚書及各分科申合を披露す。会計係の申出に依り、各員共同資金を定め、第一回分として其半額を納め、名取氏之を保管する事とす。其割合左の如し。
 正賓金百弗  専門家金七拾五弗  随員金五拾弗  婦人半額
夜九時より、同船者米国人男女一同を食堂に招待し、留別の宴を開く。渋沢男の挨拶、スチブンソン氏の謝辞、代理船長への感謝辞、及競技会賞品授与式等を行ひ、次で余興に入る。
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.80掲載)