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 1909(明治42)年8月31日(火) (69歳) 渋沢栄一、八十島宛書簡で渋沢倉庫経営について指示 【『渋沢栄一伝記資料』第53巻掲載】

日栄一、渡米の船中より、当会社専務取締役八十島親徳に書翰を寄せ、当会社の経営に関し指示を与ふ。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 2部 実業・経済 / 3章 商工業 / 15節 倉庫 / 1款 渋沢倉庫株式会社 【第53巻 p.499-500】
・『渋沢栄一伝記資料』第53巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/53.html
1909(明治42)年8月19日、渡米実業団の一行とともに団長としてアメリカに向かった渋沢栄一は、上陸を控えた8月31日に八十島親徳(やそじま・ちかのり、1873-1920。実業家)に宛てて手紙を書いています。その中で栄一は、7月に株式会社へと改組したばかりの澁澤倉庫について、不都合無く業務が進歩するよう勉めてほしい、と述べています。澁澤倉庫の専務取締役も務めていた八十島は栄一の秘書役でもあり、渡米に同行する予定でしたがドクターストップにより断念留守居役を務めていました。
渋沢栄一伝記資料』第53巻p.499-500「渋沢倉庫株式会社」の項目に掲載された栄一の書簡は、澁澤倉庫関連部分を抜粋したものですが、第32巻p.58-59「渡米実業団」の項目には同一書簡の全文が掲載されています。その書簡中、栄一は前半部分で八十島の体調を案じ、さらに論語の「死生有命富貴在天」(死生、富貴は天命によるもの、人の力ではどうすることもできない)を引用、加えて大悟徹底(迷い・執着を断つ)、安神[心]立命(あんじんりゅうめい=心安らかに身を天命に任せ動じない)等の言葉を重ね、計らずも留守居役となった八十島を励ましています。

渋沢栄一書翰  八十島親徳宛(明治四二年)八月三一日  (八十島親義氏所蔵)
其後御健康如何御坐候哉、折角御摂養専一ニ存候、但し病気ハ余りニ心配ニ過候ハ、却而(神)経より其病を増長せしむる恐有之候ものニ付、其辺呉々御注意可被成候、古聖之所謂死生有命富貴在天といふハ、余りニ任他主義ニ過候様なれとも、もし自己之思考を以て之を改善せんとするも、決而其宜を得さる筈に付、少くも死生有命之一句ハ不易之言と一任候方歟と存候、右等之事充分ニ理解いたし、何等之物我も胸中ニ相生候事無之を以て、真ニ大悟徹底と可申筈ニ付、儒教も禅学も其終局ハ一ニ帰し可申歟と存候、呉々安神立命之御工夫専一ニ御励磨有之度候
横浜解纜後、船中之景況ハ篤二まて詳細ニ申通し候ニ付、御聞取可被下候、先頃と異り案外ニ航海平安ニて、船気とてハ一日も無之、中々之勇気ニて壮年者と相伍し居候間、其辺御省念可被下候
留守宅之会計上又ハ王子之普請向ニ付而も、大要篤二ヘ之書中ニ相認め、尾高と貴兄ニ御相談之上適宜ニ取扱候様と申遣候、可然御画賛可被下候
倉庫之事務ハ新創之際ニも有之、可成不都合無之様進行いたし度、百事佐々木君と御相談被成、精々業務進歩候様、御勉力有之度候
ミネソタ号今午後三時頃タウンセントニ到着し、夫より米国之委員等歓迎之為来会之由ニ付、大概夜ニ入りシヤトル上陸と相成可申故ニ、予期よりハ二日程早く相成候訳ニて、一同大悦罷在候、明日より之日程ハ、今夕米国委員会見之上ニて取極め、弥以米国巡礼相始り候都合ニ御坐候、右一書申上度如此御坐候 匆々不備
  八月三十一日ミネソタ号船中ニ於テ
                       渋沢栄一
    八十島親徳殿
           梧下
十島親徳様 渋沢栄一
      御直披
   「四十二年」
     八月三十一日
       「米国シヤトルより」」
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.58-59掲載)

なお、『渋沢栄一伝記資料』第53巻の綱文には「明治四十二年八月三十日」の日付が与えられていますが、内容に即して1909年8月31日の事項として掲載いたしました。
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