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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1909(明治42)年9月4日(土) (69歳) 渋沢栄一、アラスカ・ユーコン太平洋博覧会の「日本日」(ジャパン・デー)で演説 【『渋沢栄一伝記資料』第32巻掲載】

日栄一、シアトル博覧会会場内に催されたる、「日本日」祝賀式に臨み「実業団之使命」と題する演説をなす。
同夜栄一、シアトル博覧会及び同商業会議所の主催にて博覧会場内紐育館に催されたる渡米実業団歓迎晩餐会及び政府館内に於けるレセプションに出席す。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 1節 外遊 / 1款 渡米実業団 【第32巻 p.95-99】
・『渋沢栄一伝記資料』第32巻目次詳細
http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/32.html
渡米実業団が訪れたシアトルでは折りしもアラスカ・ユーコン太平洋博覧会が開催されていました。この博覧会は「アラスカ・ユーコン地方ノ富源ヲ啓発シ、并ニ [ならびに] 太平洋沿岸諸国ノ三業ノ発達ヲ表彰」することを目的に、ワシントン大学隣接地で1909(明治42)年6月1日から10月16日まで開催された博覧会でした。
博覧会の会期中にイベントとして開催された「日本日」(Japan Day)では、近隣在住邦人による仮装行列、ポーハタン号(黒船と言われたペリー艦隊の旗艦)の模型展示や日本風の山車等でにぎわう中、渡米実業団一行もパレードに参加、イベントに花を添えました。(参考文献:関根仁「アラスカ・ユーコン太平洋博覧会を訪れた渡米実業団」(『渋沢栄一、アメリカへ : 100年前の民間経済外交』 (渋沢史料館, 2009.08) p.72-74掲載)
渋沢栄一は渡米実業団団長として、日本日祝賀式で「実業団之使命」と題する次のような趣旨の演説を行っています。
 開国以来の日本から海外に向かって多くの使節が派遣されましたが、それらはいずれも政治的な意味を持つものでした。しかしながら私たちの使命は全く異なり、経済的なものであり将来の日米両国が従来の親交をさらに増進させるためのものです。この重要さは政治的目的の使節に劣るものではありません。
 私たちは到着後、ご当地の皆さんから熱烈な歓迎を受けおりますことを深く感謝いたします。この広壮な博覧会における我等の尽力を、博覧会総裁閣下が愛国心が強いためと賞賛してくださったことは、まことに喜ばしいことです。
 思い起こせば日本が開国したのは50余年前のペリー提督来日によるものです。それに続き旧政府から米国に派遣された使節が当時大歓迎を受けたことは、日本の記録でもよく知られています。その後に訪米した岩倉使節団もまた政治的任務をを持っていましたが、私たちの任務はそれは異なり経済上にあります。私たちが連日受けている盛大な歓迎は、旧政府の使節団、岩倉使節団が受けたもの以上であると深く信じています。
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