情報資源センター・ブログ

情報の扉の、そのまた向こう

公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1918(大正7)年11月16日(土) (78歳) 渋沢栄一、第一次世界大戦休戦祝賀会に出席、戒めの演説を行う 【『渋沢栄一伝記資料』第48巻掲載】

是より先十一月十一日、世界大戦の休戦条約調印せらる。是日、東京交換所の発起による、組合銀行及び各代理交換加入銀行主催休戦祝賀会、丸の内東京銀行集会所に於て開かる。栄一出席して祝賀演説をなす。次いで十八日、フランス代理大使主催休戦祝賀午餐会、二十一日全国商業会議所聯合会主催休戦祝賀会、二十五日六協会主催休戦祝賀会開かれ、栄一それぞれ出席す。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 8章 軍事関係諸事業 / 1節 第一次世界大戦関係 / 6款 世界大戦休戦祝賀会 【第48巻 p.585-589】

1914(大正3)年に始まった第一次世界大戦は、1918(大正7)年11月11日の休戦条約調印により終結しました。渋沢栄一は休戦を祝賀する各種の会に出席し、実業家への戒めを込めた演説を行っています。
銀行関係者による16日の祝賀会で、栄一は、平和復興後の銀行家が心がけるべきこととして、「今後平和克復成れば我々銀行家も亦之に対する所置を考慮せざるべからず、諸君に於ても夫々研究し之に応ずるの覚悟を有するものと思惟すれど、尚十分考慮し之に処せられんことを希望す」(『渋沢栄一伝記資料』第48巻p.586)と述べています。
また、21日の実業家らによる祝賀会では、戦禍による創痍を癒すのは国力、すなわち経済力であるとし、平和が戻ると同時に今後各国は競って富の増大を計るだろう、それが激烈となれば弱肉強食のような状態をも引き起こし、平和の順境を経済関係によって破壊し、兵力による大戦以上の惨事を呈するようにならないとも限らない、「所謂平和の激戦の結果は兵力に依る戦禍より甚しきものあれば」実業界に身をおく者は、道義を重んじて国力の一要素である経済、すなわち富の増進を図らねばならない、と述べています。(『渋沢栄一伝記資料』第48巻p.587掲載、『竜門雑誌』第367号p.86-87(1918.12)より)
参考:[今日の栄一] 1926(大正15)年11月11日(86歳) 国際聯盟協会主催の国際聯盟デーと平和記念日ラジオ放送
〔実業史研究情報センター・ブログ「情報の扉の、そのまた向こう」 - 2008年11月11日〕
http://d.hatena.ne.jp/tobira/20081111/1226368323