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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1909(明治42)年11月26日(金) (69歳) 渡米実業団、サンフランシスコに到着 【『渋沢栄一伝記資料』第32巻掲載】

日栄一等渡米実業団一行、サン・フランシスコに着す。同日及び二十九日、栄一及び日本六商業会議所代表者等、アメリカ合衆国太平洋沿岸各商業会議所代表者と相会し、両者協力して貿易の増進拡張を図らんことを決議す。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 1節 外遊 / 1款 渡米実業団 【第32巻 p.358-374】

渋沢栄一を団長とする渡米実業団は、約3ヶ月にわたり全米各地を巡回、アメリカ大陸での最後の訪問地サンフランシスコに到着しました。旅を終えるにあたり、相互の友好関係、親交を構築するだけでなく、本来の目的である日米貿易の増進・拡張のための具体策検討が渡米実業団の急務として浮上しました。
渋沢栄一は前年に日本を訪れた太平洋沿岸聯合商業会議所委員長のドールマンに相談、その結果、11月26日に第一委員総会11月28日に特別委員会11月29日に第二委員総会が開催され、太平洋両岸聯合商業会議所の協同について最終的な決議がなされました。

渡米実業団誌 同団残務整理委員編  第五六〇―五七五頁明治四三年一〇月刊
 ○第三編 報告
    第四章 日米聯合商会議所協同に関する件
今回の米国訪問は、大体に於て良好なる進行をなし、到る所予期以上の款待を受け、其結果今後日米両国間の親交及貿易に裨益する所あるべきは、之を疑ふの余地なしと雖も、宴会に次ぐに宴会を以てし、演説に酬ゆるに演説を以てし、歓呼の中に相別るゝのみにては、未だ以て我実業団の任務を完全に遂行したるものと云ふべからず。能ふべくんば何等かの形式に於て、具体的に此効果を永遠に有すべき手段を講ずること、甚だ望ましき処にして、又た最も緊急の務なりと思はれたり。此に於て九十日の大陸旅行将に結了せんとするに際し、渋沢男爵は、昨年米国太平洋沿岸聯合商業会議所代表者の本邦来訪に際し、其委員長として、常に代表的の地位を占め、尚帰米後も日米親交の為めに熱心尽力しつゝある、ドールマン氏に対し、前述の趣意を内談する所あり、ドールマン氏亦其意を諒し、之をローマン氏其他に諮りたる結果、左に載録する記事の如く、太平洋両岸聯合商業会議所の協同に付き、一の決議を見るに至れり。蓋し此提案たるや、渋沢男爵が日米貿易の増進、両国交情の良好を希望する熱心より提議したるものなれとも、事の玆に至りたるは、固より我実業団渡米の結果にして、此決議を将来に有効ならしむる方法手段を講するの責任は、全然移つて両国の商業会議所に存すと雖も、我実業団の記事を了るに当つて、此決議を載録するは、極めて必要なることゝ思惟す。
[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.362-363掲載)

決議に至るまでの経緯や、委員総会の出席者、検討内容などは『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.362-368に『渡米実業団誌』からの再録として紹介されています。