情報資源センター・ブログ

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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1909(明治42)年11月30日(火) (69歳) 渋沢栄一ら渡米実業団一行、帰国にあたり留別の宴を開催 【『渋沢栄一伝記資料』第32巻掲載】

日栄一等渡米実業団一行、サン・フランシスコを発して帰航の途に就くに当り、接伴委員、カリフォルニア州知事及び同地在留の日本人等を船中に招きて留別の宴を開く。十二月六日ホノルルを訪ひ、同日横浜に向つて発す。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 1節 外遊 / 1款 渡米実業団 【第32巻 p.374-396】

3ヶ月にわたる米国視察の旅を終えた渋沢栄一と実業団一行は、1909(明治42)年11月30日の朝8時にホテルを出て東洋汽船の地洋丸に乗船しました。地洋丸船内の食堂では9時から米国側の接待委員一同、そして在米邦人有志ら百人余りを迎えて朝餐会が開催されました。
招聘側の委員長J.D.ローマン(James D. Lowman、1856-1947)はその席上で演説を行い、共に旅した3ヶ月間で人種・宗教の違いがあっても人類という同胞としては互いに共通の目的・希望を持っていること、また日米両国間の最大の障害は洋の東西を分かつことではなく、むしろ知識の欠乏であることを悟った、と述べています。さらにローマンは友情と相互利益という日米間の強固な結びつきによって太平洋の平和が維持されるようにと希望を述べ、演説の最後を一行への感謝、そして再開を祈念する言葉で結んでいます。
午後1時、多くの知己と充実した見聞を得た実業団一行は、奏楽と数千人の「万歳」連唱に送られて、帰国の途に就きました。
参考:地洋丸(撮影時期不明)
〔横浜開港150周年 みんなでつくる 横濱写真アルバム〕
http://www.yokohama-album.jp/picture/detail/5861