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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1901(明治34)年12月14日(土) (61歳) 渋沢栄一、竜門社月次会でケンペル『日本誌』など、日本近世史について演説 【『渋沢栄一伝記資料』第26巻掲載】

栄一、是日及び一月・三月の当社月次会に出席し、三回に亘り、近世史(特にケンペル著「日本鎖国論」)に就き演説す。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 2部 社会公共事業 / 3章 道徳・宗教 / 5節 修養団体 / 1款 竜門社 【第26巻 p.288-316】

渋沢栄一は1901(明治34)年12月14日の竜門社月次会で、ケンペル(Engelbert Kaempfer, 1651-1716)『日本誌』(The History of Japan)やグリフィス(William Griffis, 1843-1928)『皇国』(The Mikado's Empire)などに触れ、日本近世史について演説しています。
演説の前置きとして栄一は、「温故知新」は時勢の沿革を観察するもので、学者や政治家だけでなく実業家にも必要なものであるとし、日本の外交が元亀・天正の積極策から元和・寛永の排斥に至った過程については、歴史上注目すべきものがあると述べています。

竜門雑誌  第一六四号・第一六―二七頁 明治三五年一月
   ○青渊先生の近世史談 (其一)

回顧すれば今を去る三百有余年前徳川幕府創始の際に当り、幕府は其国是として堅く鎖国の主義を執り、欧米の文物宗教の伝来を厳禁したるは勿論、交通の途すら大に制抑したり、コハ果して如何なる主意に出てたるや、又退て考察すれば、其末造に当り翻然として祖先以来の鉄案玉条たりし鎖国政策を棄てゝ開国の方針に向ひし、是れ果して何の原因に基けるや、其政策変更の甚しき実に人意の表にありて、這般の事情は我国近世史研究上最も趣味ある問題なりと信す、我青渊先生には予て此等の諸点に付き深き意見を有せられ、且又数年来或目的の為めに自ら幕末史に就て調査せらるゝ所あり、其材料として翻訳せられたる独逸人ケンブル氏の日本鎖国論、米国人グリツフヒー氏の皇国(ミカドス・ヱンパイアー)、及米国公使ハルリス氏の奉使日記等は孰れも得難き史料なるを以て、爾後毎月の本社月次会に於て特に近世史に関する先生の講話を乞ひ、且つ其筆記に挿むに右の翻訳書を以てし、之を毎月の本誌に連掲せんとす、因に記す、右の諸書は福地源一郎氏老練明快の筆を以て訳翻せられ、行文の流暢なる、字句の正確なるに加ふるに、其各節に向ては青渊先生の論評及所感を附せらるゝことなれば、更に一層の光采を放ち趣味の津々たるものあらん
                              記者識す
  近世史談緒言(三十四年十二月十四日夜本社月次会に於ける青渊先生の講話筆記)
[前略] 此ケンプル著の鎖国論、グリッヒース著の皇国論といふものは其一張一弛に関して大に参考となるへきものと思はれます、それから続いて今日の開国に一番の近い端緒といふべきものは、嘉永六年べルリの渡来である、其次は安政元年より五年までの此ハルリスの奉使日記で、時代は其間に少々の隔絶はありますが、海外に対する関係は是等の書類を見ると、大に理会し得るやうにならうと思はれます、故に追々に之を竜門雑誌に記載する積であります、序に申上けますか、此翻訳書は実は私が他に一の大著述を致させたいといふ考を以て、其担当の人々の手にて頻りに書類を調べて居る者がある、それは即ち外交に大なる関係を有つて居ります為めに、ケンプル著の鎖国論も、グリッヒース著の皇国論も、ハルリスの奉使日記も、アールコツクの奉使三年日記も翻訳させたのである、蓋し是は其著述の参考に供する者であるから、著述の本文の出来ぬ前に之を竜門雑誌に出すのは少しく早計のようなれとも、敢て大なる妨はございませぬ故に、折角翻訳が出来たから追々之を諸君に示して、古を稽へ今を知るの一助に供したいと思ふのであります、就て私は一言竜門社の雑誌編纂に従事する人に望むのは、迚も此各翻訳書を一時に出す訳には行きませぬから、今夕申述へたる談話からして順次に掲載するやうにありたい、但し或場合には私が評論又は註解として多少の説を加へることもあらうと思ふのです [後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第26巻p.289-296掲載)

竜門社は当初、栄一に私淑する青年の勉強会として発足、後に栄一の道徳経済合一説に基づき経済道義昂揚を目指す団体へと発展し、現在は財団法人渋沢栄一記念財団となっています。竜門社の月次会ではほぼ毎回講演が行われ、話者は栄一以外に添田寿一(そえだ・じゅいち、1864-1929)、阪谷芳郎(さかたに・よしろう、1863-1941)、堀越善重郎(ほりこし・ぜんじゅうろう、1863-1936)など様々で、海外のビジネス事情や経済政策を中心に幅広いテーマの講演が為されました。
参考:明治後半期における経営者層の啓蒙と組織化 : 渋沢栄一と龍門社 / 島田昌和著 (PDF)
(『経営論集』第10巻第1号(2000.12) p.9-23)
文京学院大学ふじみ野図書館〕
http://www.lib.u-bunkyo.ac.jp/kiyo/2000/eiron/eiron9-24.pdf