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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1910(明治43)年2月2日(水) (69歳) 外務大臣小村寿太郎、渋沢栄一ほか渡米実業団一行を晩餐会に招待 【『渋沢栄一伝記資料』第32巻掲載】

是日外務大臣伯爵小村寿太郎、栄一以下旧渡米実業団員一同を招きて帰朝歓迎晩餐会を其官舎に開く。内閣総理大臣侯爵桂太郎・農商務大臣男爵大浦兼武臨席、外務・総理両大臣の演説あり、栄一答辞を述ぶ。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 1節 外遊 / 1款 渡米実業団 【第32巻 p.459-461】

外務大臣小村寿太郎(こむら・じゅたろう、1855-1911)は、1909(明治42)年に約3ヶ月にわたってアメリカ各地を訪問した旧渡米実業団員を招き、帰朝歓迎晩餐会を開催しました。官舎で開催された晩餐会には内閣総理大臣侯爵桂太郎(かつら・たろう、1848-1913)や農商務大臣男爵大浦兼武(おおうら・かねたけ、1850-1918)も臨席、小村寿太郎桂太郎による演説がなされました。渋沢栄一は渡米実業団旧団長として一行を代表し、以下のように答辞を述べています。

[前略] 我等の旅行は、其の効果果して如何あらんかと案じ居たるに、唯今外務大臣閣下より斯く御認めに預り、御叮寧なる御挨拶を受けたるは、一同の感謝し且安心する所なり、就ては今後に於ける責任も大なれば、尚大に勉むる所あらんことを期す [後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.459-460掲載、『竜門雑誌』第261号(1910.02)p.39-40より)

なお、この日の出席者については、『渡米実業団誌』p.600-604において以下のように記されています。

 ○第三編 報告
     第八章 外務大臣の催したる歓迎晩餐会
[前略] 同日出席したる者左の如し。
 渋沢男爵      中野武営氏    伊藤守松氏
 岩原謙三氏    西村治兵衛氏  土居通夫君
 大井卜新氏    大谷嘉兵衛氏  神野金之助氏
 左右田金作氏   根津嘉一郎氏  中橋徳五郎氏
 松方幸次郎氏   佐竹作太郎氏  日比谷平左衛門氏
 神田男爵      熊谷医学士    岩本栄之助氏
 石橋為之助氏   原林之助氏    西池成義氏
 堀越善重郎氏   渡瀬寅次郎氏  高辻奈良造氏
 上遠野富之助氏 田村新吉氏    町田徳之助氏
 小池国三氏
外に総理大臣桂侯爵・農商務大臣大浦男爵・外務次官石井菊次郎氏・政務局長倉知鉄吉氏・通商局長萩原守一氏・総領事水野幸吉氏・秘書官吉田要作氏・同篠野乙次郎氏・同坂井徳太郎氏等列席せり。
農学博士南鷹次郎氏・巌谷季雄氏・原竜太氏・多木粂次郎氏・藤江永孝氏・坂口平兵衛氏・紫藤章氏等が、公務、若くは業務上の差支に因り、此宴に列するを得ざりしは遺憾なりし。尚ほ団員にして未だ帰朝せざる為め列席せざりし者、頭本元貞・高石真五郎・松村敏夫の三氏とす。[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第32巻p.460-461掲載)