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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1927(昭和2)年3月8日(火) (87歳) F.H.スミス、渋沢栄一秘書の小畑久五郎に宛て排日派の誤解について書簡を送る 【『渋沢栄一伝記資料』第35巻掲載】

是日、アメリカ合衆国監督教会日本監督のフランク・エッチ・スミス、小畑久五郎に、昨年同国リヴァーサイドに於て催されたる会議に於て、排日派の人士によりて、栄一等が合衆国千九百二十四年移民法に対し既に何等の不満を抱かずとの陳述書の発表せられたる旨を報ず。栄一、小畑久五郎をして、スミスに返答せしめ、栄一は同法制定後一日と雖も之に対する不満を忘れざるものなることを明らかにす。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 2節 米国加州日本移民排斥問題 / 3款 日米関係委員会 / 其他関係諸資料 【第35巻 p.253-256】

1924(大正13)年、アメリカでは「帰化不能外国人の移民全面禁止」を定める移民法第13条C項が議会を通過、日本からの移民が全面的に禁止されることになりました。渋沢栄一はこの法案に反対を唱え、在米知己らにも働きかけましたが、在米の日米関係委員らの努力をもってしても法案通過を阻止することはできませんでした
法案の通過から約1年半後の1926年末、日米関係委員ジェームズ・H・フランクリンが来日しました。フランクリンは委員会での午餐会席上で「移民法について日本の世論は「問題なし」「解決が必要」の二派に分かれていると米国で報告されている。実際のところどうなっているのか確認したい」と述べました。日本側委員はその席上で「問題なしとの世論があるというのは間違いである」と強く否定しています。
体調不良のため午餐会を欠席していた渋沢栄一は、翌1927(昭和2)年3月11日にアメリカ側の日米関係委員に宛てて、抗議的態度を執らないのは不満が無い為ではなく、隠忍の態度に基づくものであるとして、以下の書簡を送っています。

渋沢栄一書翰 控 ウィカシャム、ギューリック両名宛 昭和二年三月一一日
                    (渋沢子爵家所蔵)
[前略] 今回博士 [フランクリン] は我国民に付て之が真相を十分調査致度御希望なる趣を伝承して一驚を喫し候
本来小生等日米関係委員は、米国内の立法に対し抗議的態度を執るは或は日米両国間に紛議を生ずるに至るべきを恐れ不満を抑へつゝ偏に貴兄等の御運動の成効を期待し居る次第にして、日本国民が黙々として反対を公表せざるは要するに小生等の隠忍なる態度に基きたるものに外ならず候、一例を挙くれば我国民中米国を知れる有識者にして先年の移民法改正法案通過の日を我が国恥デーと定め、毎年同日は全国に亘りて演説会を開き、永久に米国の不法行為を記憶せんと迄計画したるものさへ有之候も、小生の反対に会ひ之を中止したる事実有之候 [中略] 日本国民に不満の意志なしなど唱ふる者は全く自己の利害関係を本位とする無責任者の浮言に候、フランクリン博士は近日再度当地へ来着の由に付其際面会篤と実情御話可申候 [後略]
( 『渋沢栄一伝記資料』第34巻p.673掲載)

また、この書簡と前後して、アメリカのキリスト教会日本監督F.H.スミス(Frank Heron Smith)は3月8日付けで、栄一の通訳兼秘書役の小畑久五郎(おばた・きゅうごろう、?-1942)に宛てて書簡を寄せ、「アメリカでは排日派が渋沢栄一は移民法に関する現行制度に満足していると発表した。遠慮なく所懐を述べて誤解を解いて欲しい。」と述べています。栄一は小畑を通じ、以下のように所信を表明しています。

(小畑久五郎)書翰控  フランク・エッチ・スミス宛 一九二七年五月二四日
                 (渋沢子爵家所蔵)
[前略]
  You are perfectly right in assuming that Viscount Shibusawa and men of his type are never, never satisfied with the immigration law of 1924. He wants me to tell you that never a day has passed since the law went into effect until now, when he did not wish to hear it revised or amended.
  If any American visitor to Viscount Shibusawa has obtained an impression that he is satisfied with the present situation created by the enactment of the immigration law, that visitor to him has entirely and deliberately misinterpreted the Viscount's attitude toward it. He is very deeply hurt and feels it more keenly than any other high-minded Japanese for the reason that he has been most earnestly working for many years to establish permanent friendship and cooperation between the two countries. As he does not understand your language, he has every time to depend upon an interpreter. During last seven years, this work of interpretation has fallen on me, and I know through my experience that he never uttered any equivocal word in regard to his sore disappointment and dissatisfaction because of the Congressional action.
  A gentleman like Mr. Chester Rowell should never quote the Viscount as one who is forgetting the problem. It is almost a criminal insinuation to bring out the Viscount in such an unhappy connection. I am inclined to believe that your method of open fight based on justice and humanity is a right one in view of the fact that there exist in California born haters of Japanese. He who entertains any prejudice against a person or a race is an enemy to the great relgion of Christianity, and in the name of that religion he should be silenced.
[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第35巻p.255-256掲載)