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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1928(昭和3)年5月6日(日) (88歳) 渋沢栄一米寿祝賀記念『国訳論語』発行 【『渋沢栄一伝記資料』第41巻掲載】

是日、竜門社は栄一の米寿祝賀記念として斯文会編訳の「国訳論語」を発行す。二種ありて、袖珍本は竜門社会員、斯文会会員及び関係各方面に、大型本は全国小学校に寄贈す。更に同じく斯文会編集「訓点論語」を発行、同じ目的を以て師範学校・中学校に寄贈す。後に実業学校・図書館にも寄贈せり。是年十二月に至り、竜門社は斯文会に対し謝意を表するため聖堂復興費金三千円を寄付す。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 4章 道徳・宗教 / 1節 儒教 / 17款 国訳論語ノ編訳 【第41巻 p.341-346】

1928(昭和3)年5月6日、竜門社は袖珍本(しゅうちんぼん:ポケットサイズの携帯用冊子)と大型本(縦23cm)の2種の『国訳論語』(日本語に読み下した論語)と、『訓点論語』(訓読の読み順が符号で記された論語)を発行しました。それぞれの『論語』は渋沢栄一の米寿を記念して、以下のように学校等に寄贈されました。

  1. 『国訳論語』 袖珍本(14cm)・・・・・竜門社会員、斯文会会員、ほか関係者へ
  2. 国訳論語』 大型本(23cm)・・・・・全国の小学校へ
  3. 訓点論語』 大型本と同サイズ・・・師範学校、中学校、実業学校、図書館へ

論語国訳に至る経緯については、発行前年の1927(昭和2)年12月7日に竜門社会長、斯文会(しぶんかい)副会長を務める阪谷芳郎(さかたに・よしろう、1863-1941。渋沢栄一の女婿)が「青淵先生米寿祝賀会第一回準備委員会」で語った言葉として次のように紹介されています。

青渊先生米寿祝賀ニ関スル書類        (財団法人竜門社所蔵)
    青渊先生米寿祝賀第一回準備委員会(記録)
  昭和二年十二月七日(水)午後三時より第一銀行本店会議室にて、青渊先生米寿祝賀第一回準備委員会を開く。出席者は阪谷男・穂積男・佐々木(勇)・植村・石井・木村・杉田・明石・佐々木(修)・増田の十氏である。阪谷男座長として会議は開かれた。
○上略
阪「 [中略] 先生がかつて八十八歳になつたから何か紀念のものを知人に配り度いが、阪谷によい考へはないかと御相談があつた。故に私は先生が一方に実業、一方に論語を持つて立たれた関係を思ひ色々考へた末、今日では論語を読む人が非常に少くなつて居るから、之れを読ませるやうにしやうとすれば国訳にする必要がある。此の国訳はなかなか漢学者の間でも難しい仕事となつて居るが、前に論語年譜を作製して学界に貢献したから、今度は一般向のものを作つてもよからう、彼のバイブルはラテン語の難解なものであつたのを英語に訳して広く読まれるやうになつたのであるから、其の実行は意義のあることと考へた。従つて私は早速此事を斯文会へ話した処「中々難しいから三年や四年では出来ぬ。仁と云ふ字の解釈さへまだ定つたものがないから」と服部博士が云ふ。斯くて色々議論した末「古来からの学者がどう論語を読んだか華山はこう闇斎は斯くの如く読んだとしてそれを集め、最もよい読方に従つて国訳すると云ふことにすれば一年位で出来るが註でもつけると十年かゝつても困難である」と服部君が申して居りましたが、之れでも昭和の年に学者が集つて此仕事をしたと云ふことになれば大いに意義がある、そして同じことでも渋沢がやり阪谷がやつたのでは権威がない、其処で斯文会の方では既に予算七千円を計上し、三人程学校に勤めて居た人をよさせて、来年三月までに終らせる積りでやつて居ります。之れは私が青渊先生の仕事としてやらうとしたものが斯文会の仕事となつてしまつたものであるから、私は之れを出版し、広く国民に読ませるに就て先生がお加りになるか、竜門社が印刷費を持つかしたらどうであらうと思ふ。勿論御参考までにお話したのであるが、さきに論語年譜を作製した関係からも之を竜門社が世間へ発表することはふさはしい紀念事業であらうと考へます。」
○中略
穂「私は国訳論語は非常によいと思ひます。並製なら安価に出来ませう」
明「二松学舎で出した子爵の論語講義も同時にやれぬでせうか」
穂「先生の呼吸があれにどれ程かゝつて居ませうか」
増「あれは尾立維新さんが先生の許を得て書かれたので先生の呼吸はあまりこもつて居ません」
明「子爵が何時か、あれは少しはづかしいが、と云はれました」
佐「私は寧ろ、実業の世界へ出た子爵の実験論語などの方が全くのお話でよいかと思ひますが」
増「あれは全く記者が聞いて書いたものであります」
穂「斯文会の論語の国訳は非常によいから、子爵へも差上げ又一般へも売出してよいと思はれます」
阪「兎に角昭和時代の学者が寄つて此読方が正しいと、太鼓判を押すのであるから、例へ多少の間違があつたとしても立派なものです」
佐(勇)「それを竜門社で印刷費を持つことにして発行する訳に行きませんか、実によい紀念品である。」
○下略
(『渋沢栄一伝記資料』第41巻p.325-326)

渋沢栄一伝記資料』第41巻p.332-340には、斯文会総務の服部宇之吉(はっとり・うのきち、1867‐1939。中国哲学者)による、『国訳論語』の編纂方針、および栄一と論語の関係に関する記事が、下記資料からの再録として紹介されています。

  • 「国訳論語に就いて」・・・『斯文』第10編第5号(1928.05)p.1-10
  • 「青淵先生と論語」・・・『竜門雑誌』第481号(1928.10)p.273-276

『国訳論語』 大型本

 国訳論語 [大型本] / 斯文会編訳
 東京 : 竜門社, 1928.05