是より先栄一、稲垣乙丙の主唱せる糧食問題研究に賛成し、竜門社総会に招き、或は東京銀行倶楽部に講演会に開きて、当会の設立を援助す。是日糧食研究会創立せられ、栄一その名誉会員に推さる。後金千円を寄付す。
出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 9章 其他ノ公共事業 / 7節 関係団体諸資料 / 4款 財団法人糧食研究会 【第49巻 p.578-587】
渋沢栄一 日記 大正八年 (渋沢子爵家所蔵)
五月四日 快晴 軽暖
○上略 十一時過帰寓、稲垣乙丙博士東京ヨリ来訪シテ、糧食節約ノ方法講究ノ事ニ付意見書ヲ示サレ詳細ノ説明アリタリ ○下略
○中略。
五月十日 晴 暖
○上略 大磯停車場ニ抵リ一時十五分発ノ汽車ニテ帰京ス、車中稲垣氏ノ糧食問題ニ付テノ意見書ヲ一覧ス、三時過東京停車場ニ着ス ○下略
○中略。
六月一日 晴 軽暑
○上略 午前十一時ヨリ竜門社総会ヲ広庭ニテ開設ス、稲垣農学博士ノ糧食問題ニ付テ講演アリ、午後一時頃ヨリ余モ一場ノ講演ヲ為ス ○中略
(『渋沢栄一伝記資料』第49巻p.578)
1919(大正8)年6月28日、国民糧食安定・改良のため糧食研究会が稲垣乙丙(いながき・おとへい、1863-1928。農学者)らによって設立されました。前年の米価高騰・米騒動の影響から、食糧安定供給は当時の重要課題の一つであり、渋沢栄一も開墾会社設立を検討、また自ら「食糧問題の解決」と題する記事を『東北日本』『竜門雑誌』などに掲載しています。
糧食研究会設立に先立つ1919(大正8)年5月1日、渋沢栄一は稲垣乙丙の訪問を受けてその説を聞き、さらに竜門社総会、東京銀行倶楽部晩餐会など稲垣に演説の場を設けています。6月20日の東京銀行倶楽部で、栄一は稲垣の講演の後、次のように支援を呼びかけています。
竜門雑誌 第三七七号・第二九―三三頁 大正八年一一月
○稲垣博士の講演を聴きて
青渊先生
本篇は本年六月銀行倶楽部に稲垣博士を招待して、米穀問題に付て講演を乞はれたる際、青渊先生が晩餐会に於て演説せられたる速記にして、銀行通信録七月号に掲載せるものなりとす。(編者識)
[前略]
此稲垣博士のお話は、丁度私が大磯に居ります時に、一日詳しく伺ひました。尚ほ本月の一日に私の王子の宅で、竜門社の大会を開きました時に稲垣博士にお出でを願ひまして、同君のお話を来会者一同と共に承りましたから、[中略] 今夕で丁度三遍承知しました訳であります。今伺ひました所では、甚だ面白い方法のやうに考へられまするが、此事をば実施せしむる手段が無いやうに見える。私は稲垣博士から、此事は甚だ必要だと思ふから、どうか心配して欲しい。彼の人にも話した、此の人にも話した、お前にも話すが、どうか爾ういふ人人と相談して見て呉れまいかといふ、懇切なる御委嘱を受けましたので、何とか方法がありはせぬかと考へて居りました際、丁度今夕銀行倶楽部で此お話があるといふことを承つて、申さば銀行者諸君が、斯ういふ事に興味を持つてお聴き下さるといふことは、流石に銀行のお方々の御注意の深いことだと思つて、実は欣んで参上して共に拝聴した次第でございます。
そこで私の希望する所は、全体此事は政府でやつて下すつて宜からうやうに思ひますけれども、[中略] 若し政府にしても其事は極く必要と思ふが、今予算が無いために実行が出来ない、必ず来年からやるといふことならば、どうせ来年と云はず今から直ぐやらなければならぬ必要な仕事でありますから、申さば托鉢をしてゞも少々の金を醵めて、一時の仕事をやりたいといふことを、文部大臣に話して見るとか、農商務大臣に話して見るとかして、一時の寄附金を募ることが出来はせぬかと考へて居ります。其振合は何うなるか判りませぬが、私が伺つたのでは一時の設備費が三万円ばかり要る。先づ六年間宣伝鼓吹するには一年に少くとも二万円位の金が要る。之を合すれば十三万円ばかりの金が要る訳になる。これに付ては稲垣博士が先日も云はれたことでありますが、それだけの金が皆出来れば実に仕合だが、縦し幾分でも寄附が出来たならば、[中略] 其寄附をして呉れる勢を以て政府に望みを強く言うて呉れたならば、自分の考では此方法は決して一種の慰み物ではない、確に世の中に供用出来ると思ふと云ふことでありました。[中略]
私が曾て亜米利加に参りました際に、ゼームス・ヒルといふ人に会ひました。[中略] 其講演の [中略] 冒頭に『銀行家のお集りで、此金融機関の枢軸に居る諸君に向つて、[中略] 農業の根本義たる開墾の説を述べるといふことは、凡そ是位見当違ひの話はないと人も批評しませうし、お聴きなさる銀行家諸君も爾う思召すに相違ない。併ながら是は実に皮相の考で、もう一歩進んで考へたならば、是れくらゐ適切な事は無いと私は言ひたい。[中略] 蓋し銀行は経世の事業ではございませぬか。若し経世の事業であるならば、其根本義たる開墾といふ事に銀行家諸君が観念をお置きなさるといふことは、決して間違つた事ではない、否な大に本能を発揮する所以ではありませぬか。斯く考へますと、成程貿易金融を善くするとか、為替の便利を図るとか、手形の流通を良くするとかいふことは、是は銀行の華であります。併し此開墾事業の如きは銀行の実でございます。然らば其基礎を築き上げる事を、銀行者諸君が充分お考へなさらなければならぬと思ふが故に、茲に私は開墾法――農業経営の演説をします。』斯ういふ趣意で申述べてありました。[中略]
今日の食糧問題は、それよりも尚ほ一層切実と言うても宜しいと考へます。銀行家のお方々が、食糧問題に就て御心配なさるのは御不似合どころではない。最も適切な御務と申しても宜しいと考へるのであります。[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第49巻p.579-582)
参考:糧食研究会の歴史 I. 創業
〔財団法人 糧食研究会〕
http://www.ryouken.or.jp/history/1.html