情報資源センター・ブログ

情報の扉の、そのまた向こう

公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 『日清製粉株式会社史』 【日清製粉社史編纂委員会, 1955】

会社名

日清製粉株式会社

書誌事項

日清製粉株式会社史 / 日清製粉株式会社社史編纂委員会編纂
 東京 : 日清製粉社史編纂委員会, 1955.12
 15, 15, 437, 71p, 図版19枚 ; 27cm
 注記: 折り込図1枚 ; 非売品 ; 縦組み ; 表紙に型押し (社章) ; 本社を置いた小網町の江戸末期の錦絵(広重画): p64後 ; 当社製品の商標: p430-432 ; 附録: 関係会社及び法人 他3篇 ; 日清製粉株式会社史年表: 巻末p49-71

外部機関の所蔵データほか

NDL-OPAC / Webcat / 神奈川県立川崎図書館 / Worldcat 1,2 / Webcat Plus 1,2 / Googleブックス 1,2,3

社史紹介

高等商業学校出身の正田貞一郎(しょうだ・ていいちろう、1870-1961)は、麦の産地である郷里の群馬で1900年(明33)館林製粉を創立。製粉機械を輸入し原料を買い付け操業開始する。一方1907年(明40)横浜に創立の日清製粉は、日露戦後の不況を乗り切るため同年館林製粉に合併し、社名は地方色を排し日清製粉とした。大正期には東京湾埋立(株)埋立地に鶴見工場を建設、貨物船を横付し輸入小麦を真空吸揚装置で工場へ搬入した。昭和期には海外への小麦粉輸出が本格化し、外地工場も経営。第二次大戦後は麦類の消費が増加し、小麦生産高は戦前より増加する。館林製粉創業から50年を期に編纂された社史は、第1篇に小麦と製粉業の沿革、第2-7篇に日清製粉の沿革、第8篇に現況をおき、付録に関係会社略史等を記載。
[2001年(平13)持株会社の(株)日清製粉グループ本社を設立、その事業会社となる]

参考リンク

*このエントリーは、実業史研究情報センターのサイトで公開している「社史紹介」に先駆けて「速報版」として公開するものです。