情報資源センター・ブログ

情報の扉の、そのまた向こう

公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 『日清汽船株式会社三十年史及追補』 【日清汽船, 1941】

会社名

日清汽船株式会社

書誌事項

日清汽船株式会社三十年史及追補 / 日清汽船株式会社編
 東京 : 日清汽船, 1941.04
 3, 7, 425p, 図版17枚 ; 27cm
 注記: 編纂兼発行者: 浅居誠一(奥付) ; 印刷: 凸版印刷 ; 折込み表13枚 ; 非売品 ; 縦組み ; 表紙に旗章の型押し ; 見返しに航路図

外部機関の所蔵データほか

NDL-OPAC / Webcat / 神奈川県立川崎図書館 / Worldcat 1,2 / Webcat Plus / Googleブックス 1,2,3

社史紹介

中国の港湾はアヘン戦争以降19世紀末までに徐々に開放が進み、諸外国が進出していた。日本からは1896年(明29)上海に設立の大東新利洋行に続き、大阪商船会社揚子江航路、湖南汽船会社渋沢栄一は発起人)、日本郵船会社揚子江航路が進出。4社の航路は外国汽船会社に対抗するため政府の勧誘により合併し、1907年(明40)日清汽船設立(栄一は創立委員、取締役)。第一次大戦を経て発展するが、1937年(昭12)の日華事変後の統制により、1939年(昭14)設立の東亜汽船に全ての資産・業務を移譲し、日清汽船は持株会社として存続する。
30年史は1-3編が創立から移譲までの歩み、4-9編に航路、船舶、資産、事務組織、営業設備、営業成績を記述。追補にあたる第10編「我社の特殊性」には、抗日運動の影響および日華事変下の損害状況等を記載。
[東亜汽船は1947年(昭22)閉鎖、日清汽船は1950年(昭25)解散]

参考リンク

*このエントリーは、実業史研究情報センターのサイトで公開している「社史紹介」に先駆けて「速報版」として公開するものです。