情報資源センター・ブログ

情報の扉の、そのまた向こう

公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 1916(大正5)年8月16日(水) (76歳) 渋沢栄一、インドの詩人タゴールを飛鳥山邸に招待 【『渋沢栄一伝記資料』第38巻掲載】

日栄一、インド詩人ラビンドラナート・タゴールを、飛鳥山邸に招きて午餐会を催す。是より先七月二日、栄一、日本女子大学校主催タゴール歓迎茶話会に臨み、更に同十三日、帰一協会幹事として横浜原富太郎邸にタゴールを訪問す。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 3章 国際親善 / 5節 外賓接待 / 7款 インド詩人タゴール招待 【第38巻 p.602】

1916(大正5)年8月16日、渋沢栄一は来日していたインドの詩人ラビンドラナート・タゴール(Rabindranath Tagore, 1861-1941)を私邸に招き午餐会を催しました。栄一は帰一協会で幹事を務めていた関係から、これに先立つ7月13日に帰一協会会員とともにタゴールが滞在していた原富太郎邸を訪ね、会談をしています。栄一は後にその会談内容を回想して、次のように述べています。

弘道 第二九七号・第二―一一頁大正五年一二月
    ○道徳と経済     特別会員 男爵渋沢栄一
[前略] 先頃印度から参られたタゴールと云ふ人、あの人は詩聖を以て称へられて居る程で思想界には有名の人のやうであります。私は英語が出来ませぬから親しく話をしたのでございませぬ。通訳に依つて数回談話を致して見ましたが、所謂其仁義道徳の観念は甚だ高い。併し印度の事ですから孔孟の仁義道徳と全く一致するかどうかはもう少し穿鑿して見なければ判りませぬが心の高尚な点は甚だ面白い、併し物質的の話になると少しも問題にならぬのです。或人はタゴールは物質的文明を詛ふ者だと申しますが、それは少し過激の攻撃で、決してタゴールは、物質的文明を詛はぬが、悲しい哉印度の人であるから、精神の向上の事ばかり深く考へて居るらしい。又其説も甚だ宜しいけれども、どうも物質的の観察談となると殆ど定案がない。種々の事に就て論議をして見ますと、詰り論旨は一致するやうでございますが、どうしても唯心ばかりを磨くと云ふのが本旨であるから、其国民の気風を強くし、且つ文明に進めることの出来るものでないと云ふことを申しましたら、私の説にタゴールも同意であるやうでありました。併しさう云ふけれども物質的文明ばかりを盛んにするのは即欧羅巴の戦乱が其極でないか。若しそれのみを求めて、それのみに心酔したならば、独逸のカイゼルにはまるで服従せねばならぬやうになりはせぬかと、極端にさういふ意味を以て心配されるやうでありました。[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第43巻p.386,391掲載)

渋沢栄一伝記資料』第46巻p.625-629には、原邸における会見の経緯と内容が『実業之世界』第13巻第16号(1916.08)からの再録として詳細に紹介されています。