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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1919(大正8)年10月11日(土) (79歳) 渋沢栄一、修養団主催の森村市左衛門追悼会で弔辞 【『渋沢栄一伝記資料』第43巻掲載】

是日、当団本部に於て、当団主催顧問森村市左衛門追悼会開かる。栄一出席して追悼の辞を述ぶ。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 4章 道徳・宗教 / 5節 修養団体 / 4款 財団法人修養団 【第43巻 p.576-578】

修養団とは、蓮沼門三(はすぬま・もんぞう、1882-1980。社会教育家)により1906(明治39)年に設立された精神修養団体です。渋沢栄一は1909(明治42)年より同団の賛助員となり、1910(明治43)年からは顧問に就任しています。
1919(大正8)年10月11日、修養団は顧問であった森村市左衛門(もりむら・いちざえもん、1839-1919。実業家)の逝去を悼み、追悼会を開催しました。この会で追悼の辞を述べた栄一の様子は、次のように伝えられています。

向上 第一三巻第一一号・第二八頁 大正八年一一月
    森村顧問追悼会の記
[中略] 渋沢顧問が立つた、翁を深悼するの余り双眸をうるませつゝ、『今日は自分は親友森村翁の御追悼を申上るのであるが、老の身の明日をも計り難く、或は御追悼申上げる此席上に於いて自分も翁の如くに諸君から追悼を受けねばならぬかと思ふと、今更乍ら人生の無常を感ずる』と云つて声を落し、『自分と翁とはお互に実業家であるが、実業方面では提携したる事なく、不思議にも精神的事業にのみ手を携へて今日に及んだ』と述懐せられ、いろいろと翁の追悼談を試みられた。云ふ者も涙、聞く者も亦涙、いづれ涙ならぬはなく、式場はしんみりとしてカタリと云ふ音もしない。[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第43巻p.577-578掲載)

渋沢栄一伝記資料』第43巻p.576-577には、森村との交流について栄一が語った内容が『竜門雑誌』からの再録として、次のように紹介されています。

竜門雑誌 第三七六号・第六三―六四頁 大正八年九月
○森村市左衛門翁逝く 去月中旬来病臥せられし森村男爵は爾来疑勢日に増し険悪に赴き、遂に九月十一日闔焉として永眠せられたり。享年八十有一、越て十三日芝高輪の自邸に於て其告別式を執行せられ、生前親交なりし青渊先生には特に之に列席せられたり。先是翁病重しと伝へらるゝや、青渊先生には、多忙の間を屡々翁の病床を見舞はれて其快癒を祈られたるが、左の記事は翁に関する青渊先生の談話なりとて九月八日の東京朝日新聞に掲載せられたるものなり。
 森村さんの病床を訪ねた時に、森村さんは「渋沢さん、斯うなつて見ると神の有難さが一層判ります、人間界の事凡て神のお蔭です」と語られた。基督教に熱心な
△敬虔な 態度を持つた人丈あつて、其性格は自と立派で、悪を責めるに秋霜烈日の峻厳さはありますが、至つて飾り気の無い思つた通りに行る人で毅然とした点に特長があつて、温乎玉の如しといふ風には乏しい方であつた様だ、私が森村さんとの知合はズツと以前の福沢先生などゝ貿易事業を行られた頃は知らず、明治二十二年の頃森村さんが日本銀行
△監事と となつた時が抑です、私は銀行の創立委員でもあつたし一時は相談役もした関係上、森村さんと顔を合せたのでした、それ以来に親しみを加へたのは彼の女子大学の事からで、故成瀬校長の事業に賛し『女子大学は必要だ』と進んで多額の寄附をされ、殆ど数十万円を其為めに投じられた様に記憶します、当時渋沢と相図るによしとあつて、私に持つて来られたもので、私も氏のお話から相当の
△援助を 与へたものです、森村さんは同校に小学校を設け又一方に高千穂学校を設立され、世の官僚式な形式主義の注入教育に慊たらず、自発教育がよいとの趣旨から、深く其の点に力を注がれた、森村さんも右の如く私に相談されるが、私の修養団も森村さんに相談すると喜んで補助もして呉れ、共に扶けられて今日を致す基礎を堅め、趣旨とする
△虚栄や 軽躁や浮薄等の排斥に就ては非常に賛成され、物質上にも精神上にも尽して呉れた、も一つはかの帰一協会の事業で、あれも宗教・儒教以外に倫理観念を養つて一種の東洋道徳の論理の上から表はし行ひたいとの趣旨で、これにも至極賛成して尽力された、私は斯かる方面に於て森村さんの人格的事業は
△諒解も して居るが実業方面の事では別に一緒に事を為た事がないので、曾て生糸輸出の会社を起した時渋沢も入つて呉れと申されましたが入らなかつた、宗教家丈に人としても事業上にも誠に一点の非を打つべき所もない人であると思ふ、云々。
(『渋沢栄一伝記資料』第43巻p.576-577掲載)

参考:SYDとは?
〔SYD[財団法人修養団]公式ホームページ〕
http://www.syd.or.jp/whatssyd.html