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情報の扉の、そのまた向こう

公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1888(明治21)年12月6日(木) (48歳) 渋沢栄一、兜町の新邸に移る 【『渋沢栄一伝記資料』第29巻掲載】

是より先明治十九年十二月起工せる兜町の新邸落成し、是日栄一当邸に移る。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代 明治六年−四十二年 / 3部 身辺 / 8章 住宅 【第29巻 p.616-618】

1886(明治19)年12月、日本橋区兜町2番地において着工した渋沢栄一の新邸工事は2年の歳月の後、1888(明治21)年秋に竣工。同年12月6日、栄一は福住町から移転しました。『渋沢栄一伝記資料』第29巻p.616-618には、竣工なった新邸について次のように紹介されています。

竜門雑誌  第八号・四八―五〇頁 明治二一年一二月
[前略] 此建築たるや、総て工学博士辰野金吾氏の計画にして、工事は一切清水満之助氏の受負なり、[中略] 家屋の位置は兜橋畔に接して南に面し、総体煉化造の二層楼なり、[中略] 稜角窓檐等は総て青石もて螺条花様抔の彫刻をなし、壁は淡黄色に塗り、正堂玄関は南に向て門に対し、西北は直ちに河水に臨み、西に半円形のベーウヰンドー突出し、北に七間余の釣場あり、此岸には石階を設けて舟を繋き昇降すへし、東の方は庖厨にして、東南には厩及ひ奴僕の部屋、供待等迄備れり、又石柱鉄扉の表門は南の方道路に臨み此両柱に銅製異鳥の洋灯を掲け、鉄柵は西南に繞りて庭園を囲み、園中には奇石蟠まり喬松聳へ、百日紅・鴨脚樹・柘榴・芭蕉・脩竹其他の草木位置面白く栽へ列ねたり、屋後は江戸橋・鎧橋の間を流るゝ川筋にして、荒布橋 [あらめばし] ・思案橋をも一目に望み、前岸には小網町の河岸蔵連らなり、近海に出入する高瀬・天間船は舳艫相銜て爰に湊まり、房総の地より魚河岸の問屋に向て溌剌たる新鮮を運搬する押切は朝暮競ふて窓下を過く、実に都下の目貫たる商業地は四囲を連続して一望の裡にあり、更に入て室内の模様を見るに、先つ玄関より昇て左の方は応接所にして、唐戸を開けは内は純子の張壁、織物の窓かけ、麗しき絨緞を敷き、天井は滝和亭 [たき・かてい。明治期の日本画家] 氏か揮毫せる花卉虫禽の画なり、此隣房は主人公か書斎にして、夫より令夫人の便室、通常客室、食堂等各房相連なり、廊を隔て又幾間の室あり、其他家人・侍婢等の部屋は夫々に局を為し、浴室には樋を仕かけて冷水温湯自在に引き、四壁ハ花鳥を染付たる陶板にて張り最も清潔なり、又便室は洋製に傚て造り、甚た浄快なり、転して又廊に出て花形の彫刻したる欄干に依りて階を攀ち一曲して楼上に昇れは、西南の方は則ち舞踏室にして赤地の純子の張壁いと花やかに、唐草の模様塗り分けたる天井には数枝の洋灯を釣り此一室は舞踏の為め床に絨緞を用ひす種々の寄木をもて張つめたり、此外幾間の室は各々様を換へ飾を異にし、又東の方には寝室あり、倉庫あり、総て楼上楼下の各室に数条の電線を備へ、坐にして人を呼ふへく、室内より街灯に至るまて尽く瓦斯を引き、夜はさなから昼の如し、全体間毎の装飾は暖炉・姿見・絨緞等は遠く欧米より購はれ、窓かけは本邦の西陣に命して新たに織らしめ、椅子に卓に架棚に、其外各種に至りては本邦の名工と外国の精品とを集められ、又室毎に掲けたる油絵の額は伊・独・英・仏の画伯か揮毫にして其精巧尽く真に迫れり、其概此の如しと雖も、若し氏か財を傾けて構造を事とせは尚都下第一の大厦をも造らるへし、然るを経済の中流を汲て其計画宜しきに居るは所謂綽々として余裕あるものか、常に商工業の隆盛を謀り須臾も理財の原則を離れす、此処に居を占め前に第一国立銀行を置き後に流通涯りなき河川を扣へ、左右に鎧・兜の二橋を擁し、以て営業の堅固なるに比す、嗚呼適へるかな此館、中れるかな此室、こゝに新築の概形を記し、併せて其後栄を祝す
   ○当邸ハ同番地ナルモ、明治六年移住シタル三井組所持ノ家屋ト同一地面ニ非ズ。
(『渋沢栄一伝記資料』第29巻p.616-618掲載)


参考:兜町渋澤邸
〔日本建築学会所蔵 写真データベース〕
http://news-sv.aij.or.jp/da1/m_t_db/p0000056.html
生家から飛鳥山まで、渋沢栄一の住居を教えてください。 - 渋沢栄一Q&A
渋沢栄一記念財団 渋沢栄一
http://www.shibusawa.or.jp/eiichi/answer03.html#q01
[今日の栄一] 1873(明治6)年7月8日 (33歳) 小川町から兜町へ移転
〔実業史研究情報センター・ブログ「情報の扉の、そのまた向こう」 - 2008年7月8日〕
http://d.hatena.ne.jp/tobira/20080708/1215487767
駒見宗信「“歴史の水脈”を探る 「東京駅」・「丸の内」、そして渋沢栄一」(『建築東京』43巻7号(2007.07) p.3-13掲載) (PDF)
〔【社団法人 東京建築士会】東京建築士会web〕
http://www.tokyokenchikushikai.or.jp/51_kaihou/2007/7/ken7_marunouchi.pdf