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公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 1924(大正13)年2月11日(月) (83歳) 渋沢栄一、佐々木勇之助の古稀祝賀会で祝辞を述べる 【『渋沢栄一伝記資料』第49巻掲載】

是日、帝国ホテルに於て、佐々木勇之助の古稀寿祝賀会開催せらる。栄一出席して、祝辞を述ぶ。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 9章 其他ノ公共事業 / 5節 祝賀会・表彰会 / 19款 佐々木勇之助古稀祝賀会 【第49巻 p.430-432】

佐々木勇之助(ささき・ゆうのすけ、1854-1943)は渋沢栄一の後を継いで1916(大正5)年から第一銀行の頭取を務めた銀行家です。
1924(大正13)年2月11日、佐々木勇之助の古稀祝賀会が開催されました。渋沢栄一はその席上で祝辞を述べていますが、残念ながらこの時の栄一の演説は『渋沢栄一伝記資料』中に記載がありません。

竜門雑誌 第四二六号・第五〇―五二頁 大正一三年三月
○佐々木勇之助君古稀寿祝賀会 第一銀行頭取佐々木勇之助君は、昨年を以て古稀に相当せるより、曾て同君の指導を受けたる渋沢篤二君外十四名の諸氏発起となり、聊か祝賀の意を表する為め、茗香佐々木先生古稀寿祝賀会を組織し、昨春来その準備を進めつゝありしが、折柄震災の為め一先づ延期し、改めて去二月十一日紀元節の佳節を卜し午後五時より、帝国ホテルに於て記念品贈呈式並に祝宴を開催したるが、当日主賓として佐々木君及令息謙一郎君始め同修二郎君・同和三郎君・同重雄君・岡実君・立石信郎君・関原忠三君、又陪賓として青淵先生・石井健吾君・杉田富君・西条峰三郎君・明石照男君並に会員二十七名出席の上、発起人総代渋沢篤二君の左記祝辞朗読ありて、青淵先生の揮毫になれる篇額及会員名簿を記念品として贈呈し、佐々木君の懇篤なる答辞あり、式終つて伯鶴の講談ありて後祝宴に移り、渋沢発起人総代の挨拶に次ぎ、青淵先生は五十年前佐々木君と相識りし以来の意味深き懐旧談を祝詞と共に述べられ、尚ほ同君の為め杯を挙げて一同と共に健康を祝され、次に会員各自現在の職務等に就き自己紹介あり、最後に佐々木君の答辞ありて宴を閉ぢ、更に別室に於て快談時余に及び、一同和気靄々裡に十時散会せる由。
[後略]
『渋沢栄一伝記資料』第49巻p.430掲載)

なお、『渋沢栄一伝記資料』別巻第4には佐々木勇之助のプロフィールが、第49巻には佐々木勇之助還暦祝賀会(1915年4月25日開催)で栄一が佐々木について語った内容が以下のように紹介されています。

佐々木勇之助
幕臣浅野伊賀守家臣直右衛門の二男。東京本所六軒堀に生る。明治六年第一国立銀行に入り、同一四年支配人、同二九年取締役、大正五年頭取に就任、昭和六年以降相談役に就任した。東京貯蓄銀行・渋沢倉庫会長。東京銀行集会所会頭。号茗香。安政元年(一八五四)―昭和一八年(一九四三)
(『渋沢栄一伝記資料』別巻4 p.610掲載)

渋沢男爵の演説
[前略]
 佐々木君の第一銀行に於る勤務と云ふのは計算方から簿記方に進んだ、それから支配人の見習と云ふ位地に立つたのは多分明治十四・五年頃でありませう、故に当時から評しましたら、斯る有為の人物を見る明がなかつたとも云はれるか知れませぬが、一方から云へば数年間に順序的に栄達したとも云ひ得るのであります、所謂穎敏実直と評すべき方で、其記憶と云ひ其敏捷と云ひ、洵に各方面に優れた方でありました、[中略] 第一銀行の経営として、私の理想とせしは、銀行は飽迄も他の商工業と伴はなければならぬ、銀行独りで発達の出来るものではない、それであるから銀行の事業を盛にせんとならば、他の事業を進めて行くが肝要である、殊に事業は改進主義が宜い、今も尚其主義を守つて居ります、故に私は独り第一銀行の経営に止めず、有りと有ゆる各種の会社の新設に勉めた、但し其根本を忘れてはならぬと思ひますが、先を急ぐために、或る時には忘れんとしたことが、必ず無いとも云はれぬのであります、此点に於ては佐々木君と私とは或は夜と昼の如く、積極と消極の如き差を生じたことが多々ありました、[中略] 幸に明治十四年から佐々木君が私の女房役に立たれて、勿論銀行実際の事務は私以上に通暁して居られ、殊に精勤忠実にして洵に満足すべきお方でありましたから、私は殆んど内を顧るの憂なく、恰も意気相投じ交情相親む処の夫婦が一家を為して、夫が外部を働きて婦は家庭を守る如く、私は常に、内は君が守つて呉れるから私は外を駈廻るのだと云ふやうな有様であつた、[中略] 或る点から見ると私と佐々木君とは其境遇は勿論、出処も全然相違して、又其性質も違ふ処ありと自ら信じて居りますが、斯の如く相異つた者が斯の如く膠漆ならざる如く相合すると云ふのは、所謂不思議な御縁と云ふか、決して偶然でなからうと思ふのであります、[中略] 併し第一銀行をして飽迄も完全に進めて行きたいと思ふ心は常に符節を合する如くである、[中略] 共に之を憂ひ之を愛し之を保護して居る為に、其扼腕奮起なくして扼腕奮起に勝る精神が一致して居ると言ふて差支なからうと思ひます、而して同君は [中略] 自ら富を増すとか、或は頼まれたからこれを為すとか云ふやうな人ではない、一旦遣らうと決心されたことは緊く執つて諄々とお尽しなさるのが同君の特性である、本質である、是は実に誰に頼まれたのでもなくして我本能を発輝するのである、決して人に頼まれたなどゝ云ふやうな薄弱なる事ではなからうと思ひます、斯の如くして明治六年から足懸け四十三年の交情は、未だ青年と思ふた同君の茲に還暦の祝詞を述べると云ふことに成つたのを見ると、自己の老耄に気が着く位の訳でございます、[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第49巻p.409-412掲載、「佐々木氏還暦祝賀会報告書」(1915.07)p.1-27より)


参考:佐々木勇之助について - 清風亭〜誠之堂・清風亭
深谷市
http://www.city.fukaya.saitama.jp/syougaigakusyu/Web_seisido_seifutei/seifutei01.htm