情報資源センター・ブログ

情報の扉の、そのまた向こう

公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
渋沢栄一、社史を始めとする実業史、アーカイブズや図書館に関連する情報をご紹介しています。

 「精神的の復興が出来なければ、真正なる復興を期する訳にはいかないと云ふ事を切に申して置きます。」(1923年11月)

記事タイトル : 大震災の追想と所感の一二
初出 : 『銀行通信録』第76巻第455号 (東京銀行集会所, 1923.10) p.27-39

震災から2ヶ月後の1923(大正12)年11月、渋沢栄一が「大震災の追想と所感の一二」と題する一文を寄稿した『銀行通信録』が発行されました。その中で栄一は被災当日からその後の火災について、また米の調達と滝野川での白米供給、協調会大震災善後会火災保険調停帝都復興審議会での活動について触れた後、最後に個々人への提言として次のように述べています。

世の中に長く生存して居ると種々なる変化に出会ふのは人類の免れぬ事であります。八十四歳の高齢に居ります為に、[中略] 重ね重ねの所謂有為転変の世の中を送りましたが、今度の地震も即ち其一つとして数へられるやうに思ふ。
[中略] 人が自己本位、物質万能、自分のみ宜ければそれで宜いと云ふ、悪く申せば我利的精神にどうも進み過ぎて居ると思ふ。さうして物質上の事に無暗に焦せる。私共の古い学問に安んじて居る目から見ると、何の事やら可笑いと言ひたい位に思ひます。[中略]
さうして一方には無闇に身を飾つて実に東京の中央の街などを通つて見ると斯く迄に綺麗になつたか、斯く迄に立派になつたかと斯う言ひたいやうです。昔魚灯の光で暗い町を見た目から見ると、さながら竜宮城へでも這入つたやうな気がします。是で宜いものかと私自身すら疑を起す。[中略] ―― 遂に斯う云ふ大変革があつて、何だか大平等を自然から与へられたと云ふやうな事で、或る場には天譴とまで思うたのは、決して唯迷信ではなからうと思ふ。どうぞ斯う云ふ機会に人心が本当に覚醒して穏健質実、忠孝節義の精神にどうぞ立帰つて貰ひたい、云ふ事を今尚頻に祈つて居りますが、之を宣伝して歩いたつて効能はありませぬから、唯自身の心で、又自分の極く狭い範囲に於て努めて高調して居ります。
[中略] 私は所謂帝都復興は物質的に言うて居るけれども、精神的にも是非帝都は復興させたいと思ひます。精神的の復興が出来なければ、真正なる復興を期する訳にはいかないと云ふ事を切に申して置きます。[中略] 人には行はすけれども、己れは行はぬと云うては何にもならぬと云うて、此間或る種類の人が来て頻に言ひますから、余り声を高めて皆にせいせいと云ふよりは、自己がする方が宜い、どうも今の所では自身はせぬけれども、人にばかりさせようと云ふ事が多くてならぬ。人にさせるよりは自己がする方が宜い、皆なして人にさせると云ふことでは、誰もしてはない、さうして唯あれだからいけぬと言うて己れの言ふ事が一番えらいとする。[後略]
『渋沢栄一伝記資料』第51巻p.24-35掲載)