情報資源センター・ブログ

情報の扉の、そのまた向こう

公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センターがお送りするブログです。
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 「復興するに付ては、余り大きな考へをすれば力不相応になるし、唯姑息の思案をすれば余りに規模の小さい仕事に行走る。」(1924年1月)

記事タイトル : 年頭所感
初出 : 『竜門雑誌』第424号 (竜門社, 1924.01) p.11-18

震災翌年の1924(大正13)年、渋沢栄一が『竜門雑誌』に寄せた「年頭所感」の中には、関東大震災と復興に関連して次のような言葉がありました。

[前略] 今日我日本の経済は蓋し甚だむづかしい時期であつて、最も処し難い場合に遭遇して居ると思はれるのです。先づ第一に昨年の震災が各方面に非常な損害を与へて日本の富を滅失した。而も之を復興するに付ては相当の資本を要することは論を俟たない。それに付ても余り大きな考へをすれば力不相応になるし、唯姑息の思案をすれば余りに規模の小さい仕事に行走る、此両者を適当に制して行くことは誰も望むことだし甚だ必要であるけれども、扨てそれが或は行過ぎたり或は行足りなかつたり、中々むづかしい。[中略] 今のやうな災害を惹起したから経済の困難と云ふことは決して無理ではない。併しさらば唯困るからと云うて、又事が難いからと云うて、尻込をしては居られぬ。若しさうなつたら必ず是は段々萎縮退嬰に終つてしまふに相違ないから、何としても経済界の人々は真に勇を鼓し力を振つて是が挽回に力めなければならぬ。そこで又其挽回を力めると云ふには努めて富力を増さうと云ふ事になる。富を望むと云ふと全般の富と云ふことのみ考へて居られぬから、銘々個々の富と云ふものを考へる。其処に又齟齬が生じて来る。道理に反いても富に行き走る。[中略] さうして互に競つて富を図る事になると、唯目前に現れて居る有様だけに憧れて、遂に目的の為に手段を撰ばぬと云ふことになる。穏健質実とか若くは律義敦厚とか人格的挙動が少くなつて、唯一時的間に合せと云ふやうな思案にばかり走る。仮に富むとしても自己本位だけに走る。そこで茲に私の希望は、飽迄も経済の発展を図る為には全般の富を進めて行かなければならぬ。[後略]
『渋沢栄一伝記資料』別巻第7 p.549-550掲載)